2018年4月1日日曜日

劉備玄徳を好きになる前と好きになる後

私、島崎は、劉備玄徳のやってきている事を見ます。島崎が見るのですから、体人間島崎の方向を基点として見ます。やっている事1、そしてやっている事2、そしてやっている事3という様にです。


例えば、やっている事1として桃園の誓いをやります。次に、やっている事2として三顧の礼をやります。そして、やっている事3としては建国をやります。劉備玄徳は、蜀という国が無かった時代から、蜀という時代がある建国をやっています。魏呉蜀という三国が確立するのですが、その内の蜀という国ですね。

やっている事の一つひとつが積み重なって、結果として島崎に映る彼の生き方に対して、「あぁ好きだなぁ」という好感度の高さが積み上がってきます時に、ようやく「どんな人なのか?」という関心が島崎に起こります。

「これが、劉備玄徳か」

と島崎が分かってからは早いです。

私、島崎から見まして劉備玄徳が大好きであるという事が分かる時、そしてその事が腑に落ちる時は、その次からはどうなるかと言いますと、「劉備玄徳は次に何をするのだろうか?」という様に関心どころが逆転します。それが次のイメージ図です。


劉備玄徳がやってきている事を好きな島崎と、島崎が劉備玄徳を好きになった絵
イメージ図「矢印が変わる」




劉備玄徳がやっている事、それが同じ桃園の誓いでありましても、島崎の方から見る桃園の誓いではなくて劉備玄徳側から見る桃園の誓いという様になります。

彼自身に関心を持つようになってからは見方が変わります。見ている立ち位置、見ている方向が変わります。

関心を持っている彼がやっている事一つひとつに関心を持つ様になります。数学的な表記を借りますと、

①>②

の様に表現できるかと思います。当時の私はいつしか人に関心を持つ様になっていて、そこからやっている事一つひとつに感情を移入させながら、やがては「あぁ、あんな劉備玄徳の様になりたい」とまで島崎の場合は思いました。

そこから彼が何をやっているのか、どんな事が出来るのか、島崎にも出来るのだろうか、など、そこまで私は変化してしまいます。


振り返ります。

大好きだと気付くのは後の方です。そして、人物を知るキッカケは生き方の方です。そして、ひっくり返るんですね、やっている事と人物というのが。

もう気付かれたかと思います。昨日の記事の冒頭に触れておりました

「大好きな人物だと気付くのは後」
「人物を知るキッカケは生き方。何をやったのか」
「ひっくり返るんですね。やっている事と人物というのが」

の事です。そして、①<②が①>②へと優先順位が変化している事を指しています。

その意味で再度、強調したい事。

私、島崎が重要視しているのは、①どんな人になって、の方です。ただキッカケは、②何をやっているのか、です。

昨日に続き、人の持つ影響の何たるかについて触れた記事にしました。別の記事に続きます。

いつも見て頂いて有り難うございます。
ぜひ、別の記事もご覧下さい。

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