・定年前に第二の人生の準備をしたい方
・天命を知りたい方
・天職に出会いたい方
その様な期待を募らせて、何かしらの行動を起こされている方に相性が良い記事です。
その様なあなたは、天職を知ったり天命に出会う事を期待して色んな事をされていると思います。この記事を見ているあなたは、本記事とどの様にして出会ったのかと言いますと、インターネットで検索をしたのではないかと思っています。或いは、類似する記事として関連記事から見つけてきたのではないかと思います。
インターネットで検索の窓に打ち込むという事や、関連キーワードを通して、私のブログと出会う事の共通点は分かりますか?
検索窓に打ち込む単語にしましても、関連として挙げられている単語にしましても、言葉であり言語ですね。
YouTubeなどでしたら映像で出会う事もあろうかと思いますが、映像であっても人が出て来て何かを喋っている場合は、出演者が発しているのは言葉であり言語を使っていますね。
私たちは、言語を使っています。
言語を使っているという共通点があります。話は次へと展開しますが、あなたはこの様な事を意識した事がありますでしょうか?今までの長い人生経験の中で、折に触れて感じる事があったかも知れませんが、言語と言いますのは結果です。
言語は、結果です。
詳しくは別の記事で触れます。
結果には、原因があります。そして、過程があります。原因と過程を経て結果になっていきますが、単語、言葉で表現されている言語と言いますのは、生産された後のものです。
以前の記事に水の性質を使いまして描いた絵がありましたが、そのイメージ図を参照しながら聞いてみて下さい。
水が集まって頂点になるところは結果ですね。
頂点にあるところは結果です。結果になる前には水が集まってきて盛り上がる様であり過程の段階がありますし、過程の様にさせている原因が更に深いところ、水自身にあります。波を持つ水で表現してみてもそうです。
単語、言葉の様な言語を使う事。
その共通点においてですね。
過程や原因が、結果である言語によって明示される事はありません。繰り返しになりますが後日、詳しく取り上げる事にします。
ここまではサイバー空間での交流の話ですが、私たちが現実で出会う交流の時にはどうでしょうか?
天命を知りたい、天職に出会いたい、と期待をもってインターネット検索や関連動画を見たりする他にも、本を読んだり、新聞を読んだり、それから新聞にも沢山の情報があり、交流しようとします。
講座やセミナー、それから勉強会の様な、人がそこに介在する事もありましょうし、ありとあらゆる情報に出会いますね。お付き合いでお会いする人もいますから、初めてお会いしたり、親睦を深めたり、旧交を温めたりと様々です。
とにかく期待する事は、「天命を知りたい」「天職に出会いたい」という一心でありまして、その様な思いが沸々とありながら期待感を募らせて、現実空間での様々な行動や所作があろうかと思います。
現実空間での様々な交流に着目します。
本に書かれているのは、文字ですし、新聞に書かれているのは文字ですし、セミナーや講座や勉強会、それから人との出会いでは文字や言葉を使うでしょう。交流のあらゆる場面で使われる素晴らしい道具として私たちは言語を使いますね。
気付く事があります。
前述した通り、言語は結果です。
原因と、過程を経まして、その結果として表れている言語を使います。結果ですので、その手前までの原因や過程というものが反映されていません。言語には、原因や過程が明示されていません。言語によって、原因や過程を明記する事は難しいですね。
一方で、こうも言えます。
共有したくて言語を使う時は、原因や過程を含めて共有したいと思いませんでしょうか?本当に共有したい時ほど、強く感じる事かと思います。
あなたがもし、部下をお持ちの時に部下とのコミュニケーションでも言語を使う事でしょう。その時、共有したい事は言語そのものよりも、言語が指し示しているイメージであったり感情であったり思考であったりしませんか?
コミュニケーションが伝わらない現象、それから指示した事が伝わらない現象、そして期待する事も沢山あった今まででしたが至る所で期待が裏切られていくという難しさに直面していたのではないかと思います。
言語には、原因や過程が反映されていないからです。言語という道具は、結果なんですね。
あなたが本当に伝達したかったのは、あなたの意図であったろうと思いますし、あなたの意志を伝えたかったのでしょう。感情を伝えたい事もあったであろうかと思います。
それが言語に乗るというのは難しいです。
怒りの感情があったとしまして、「私は、怒っている」と書きましても言いましても、怒りの感情そのものが文字や言葉には乗りません。更には、受け取り手の体験経験に基づく解釈の問題も働きます。
言語だけでは、解釈してくれる側に感情そのものが伝わるのは本当に難しいですね。
言語は過程や原因を明示しきれないという事ですが、ではどうすれば良いのでしょうか?
天命を知りたい。
天職に出会いたい。
期待は益々募りますし、
高まっていきます。
その中で、衝動的に色んな場所に出かけてみたり、勉強してみたり、検索してみたりと色んな事をしながら言語を道具として使いますが、教えてくれるその人の情報は結果としての言語ですから、その原因や過程が明記されていない中では、教えてくれているその人そのものと一体どの様に出会う事が出来るのでしょうか?
非常に難しいです。
それでは、言語を使って出会おうとしなければ良いのでしょうか?
天命という文字通り、
天職という文字通り、
天にお任せすれば良いのでしょうか?論語に出てくる孔子の言葉に在ります様に、50歳になれば天命を知る事になるのでしょうか?自然に任せていれば、天から何かが降りてきて、「あ、気付いた」「あ、感じた」などとなるのでしょうか?
それも如何なものでしょうか?
多くの人は、出会えていません。
私自身は、人生は自分で切り開くものと理解していますし、天命を知るという事においても、天に任せていたら天が教えてくれるものでもないと思っています。或いは、その様な表現がどこかにあったとしましても、それは結果としての言語に過ぎないのでありまして、全く違う解釈だと思っています。
自ら掴みに行けるものです。
では、どうすれば良いと思いますか?
自然に任せておく事も難しいですし話は違います。積極的につかみに行こうとする時の道具は結果である言語ですし出会えません。
どうすれば良いのでしょうか?
この事の難しさ故に、皆んながみんな天命や天職に出会う事が無いのであろうと思います。
この事を、私は非常に問題視しております。課題として見ております。そして本記事を読みながら正に今も私とあなたの間に起きている現象です。本ブログも言語を使っています。
ただ、私はこの現象が起きている仕組みや構造が見えています。
仕組みや構造が見えているので、難しいこの問題をどの様に超えていくのかを私自身、意識しながら発信していこうとしています。あなたにおいても、私のブログを見ながら末永くお付き合い頂く中で、言語の弱点、そして言語を上昇させていくところまで関心を寄せてもらえる様に案内したいと思っていますので、期待を募らせながら、今後もお付き合い頂ければと思います。
いつも見て頂いてありがとうございます。
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