島崎はNoh Jesuが大好きです。
親しいのでNohさんと呼びます。
「Nohさんはどんな人ですか?」と尋ねられた時に、一番困るかも知れません。Nohさんは、こんな人という様に表現する事が難しいからです。
こんな人、という様に表現できない訳ではありません。ただ、表現したとして、しかしそれでNohさんがどんな人だと伝えた事になるのかというと違いますし、また自分でも表現した事でスッキリするかと言いますとそれも違うんですね。
彼と接してみると分かります。
彼は、
何事にも囚われず自由過ぎて決め付ける事が出来ないものですから、表現してしまうと、表現した事によって同時に生まれてしまう範囲の中に、彼を押し込めてしまいます。ただその瞬間にでも彼は、その範囲を超えていってしまう人でもあるので、表現した瞬間に、それとは違った存在になっているんです。
思わず笑ってしまいます。
慣れないと怒ってしまいます。
ですが、その様な事ばかりを言っていたら、尋ねられた時に島崎は困ってばかりになってしまうので、一応は、こんな人だと言って応じれる状態であろうと心がけてはいます。
そんな背景がありまして。
今日、書いてみます。
Nohさんは、出会う人と共にNohさんとしてそこに在るような人ですね。出会う人と共にそこにいる状態がない時には、これがNohさんだと言うことがとても難しいけど、出会う人との交流からNohさんが形作られていく様な現象をよく見ました。
そんなプロセスを間近で見ていると、何だかとても感動で、涙が零れてきますね。どうしてこんな事が起きているのだろうか、と神秘な現象に立ち会います。
まるで、出会う人がNohさんを形作っている様にすら見えます。Nohさんの目の間にいる人、或いはその場がNohさんを形作ります。
そうして出来上がるNohさんに日本や人間を観るんですねー。その様が芸術よりも芸術で、美しくて美しくてホントに美しいんです。
彼と会ってみて下さい。
Nohさんが好きになりますよ。
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