人間は、1人で生きていくことは出来ません。この記事では、多くの人が語られているような角度とは少し違う角度になるとは思いますが、教育について触れたいと思いますし、学ぶことについて、そして学問について触れたいと思っています。
教育ですとか、学問ですとか言いますと、少し大きな話にも思えるようなテーマかも知れませんが、よくよく考えますと実はものすごく日常的なことだと思うので、ぜひ読み進めてみて下さい。
使命について、テーマとして話しますが、入り口を教育に置いている記事です。
論語に天命を知ると出てくるのですが、知るというところに着目してみます。
天命というところに着目しますと、
天とは何か?
命とは何か?
について掘り下げることになりますが、それは別の記事に譲ることにします。
今日は、知るというところに着目しますと、あなたは沢山の知る機会に出会ったことと思います。
小学校において、
中学校において、
高校において、
そして大学であったり、
或いはそういう学びの環境だけではありませんね。他にも知る機会として、
家族家庭環境がありますし、
職場環境がありますし、
アルバイトの環境もありますし、
色んな人とのふれあいの中で、沢山のことを知ってきたのではないかと思います。
学問の領域でも、
算数・数学を知りますし、
国語・英語を知りますし、
理科を知りますし、
理科の中でも化学・物理学・生物学などを知るようになりますね。そして、当たり前に思えるようなことではありますが、
私は男だ、
私は女だ、
ということについても、知るという領域になります。何事も、知ることから始まるともいえるかと思います。
小学校一年生の男の子が大学生一年生の問題を解くことが出来ません。大学一年生に与えられた問題を解く上で、情報が足りないからですね。知るということが足りていないからですね。
知っているということを前提に、社会を営んだり関係を築いたりしています。
ところが、一体なにをすれば知っているということになっているのでしょうか。その、知ることの基準とは一体なんでしょうか?
知るとはどういうことでしょうか?
一体、知るということは、どこから、或いはどこまで、
一体、何がどうなっていれば知ると言えるのでしょうか?
あなたは考えたことがありますか?
知っているということの基準について、あなたに教えてくれた先生、教えてくれた親、あなたが教えてきた人たち、あなたが学んできたこと、その全てにおいて、その知ると言う基準に理解が深まるような機会はあったでしょうか?
話を使命に戻します。
天命を知るということもそうですし、自分の使命は何かを知るということも、天命は何か、使命は何かを考えることも大事だと思うのですが、一方で知る基準というのも大切なことだと思いませんか?
この基準を外しますと、本当に知っていることになるのか、知らないことになるのか、あやふやになりますね。
知っていることも、
あ、知らなかったんだ、
ということは沢山あります。
知らないということも、
あ、知っていたんだ、
ということも沢山あります。
論語に出てくる天命を知るということ、
私や、
あなたが、
自分の使命を知るということ、そこにも知るという基準が働いています。
世の中、教育によってなりたっていますね。人間は、1人で生きていくことができませんね。そのとき、必ず知るということが入ってくると思います。その知るということの基準について、今日は考えてみました。
また、別の記事で、別の角度から知るということについて掘り下げてみます。
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