2018年2月25日日曜日

人生は、何を見られるのか?

人間は、時として評価されますね。私たちは誰もが皆んな、人から評価されるではないですか?人によっては、評価する側かも知れませんが、評価したり、評価されたり、するのだと思います。

この点について、特に異論のない方と共に、評価について少しだけ考えてみたいことがあります。

何が評価されるかというと、やってることとか、してきたことの、その結果を評価されると思いませんか?

私自身のエピソードを交えます。

歴史上の人物では、私は劉備玄徳という人物が大好きなんですが、私が劉備玄徳を大好きになる際には劉備玄徳がやっていることを評価していますね。

桃園の誓いもそうですし、
三顧の礼もそうです。

まだ国をもっていない時から始まって、やがては国をもつようにもなる彼ですが、彼が国を建てるまでに色んな人たちが彼のもとに集ってくることも、それに当たります。

彼は今風に言えば、「こちらにおいで、一緒にやろうよ」と言って招待しますし、「あなたの下で一緒にやりたいです」と言われて受け入れる訳ですが、色んな人を食べさせておりまして、当時の戦乱で国が荒れてる状況はまさに戦いに次ぐ戦いの中で、国を立て直そうと立ち上がっていますね。

そして当時もあります税金ですね。せっかく作ったお米をたくさん持っていかれます。大量のイナゴが発生したり洪水で川が氾濫するなどして、大変な最中にも税金ですね。人の心が疲れ果てていくのですが、だんだん荒れていく訳ですね、国が。

人の心を安らかにさせていくという彼のやってきたことを、私に評価されるわけです。人に希望を感じさせていくという彼のやってきたことを、私は評価していました。

私たちにおいてはどうでしょうか?

私たちにおいても、仕事をしたり、活動する人にとっては、仕事の内容を見られたり活動を見られたりしますね。

「人生、何をやるのか?」

その何をやってきたのか、という中の、やってきたことが評価されるということについてクローズアップしています。

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ありがとうございました。

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