この記事は、テーマを「不惑」と「天命を知る」においています。自分の使命に生きようとする中で、自分の経験を生かして人生をより良くしたいと思っている方を意識して作っています。また、自分の人生は自分で切り開くと思われている方に相性が良い記事です。
今回は、少しだけ長めとなりますが、共有共感してくれたら嬉しい内容ですし、語り合いたい内容でもあります。
良かったら、
お付き合いください。
論語では、四十になると戸惑うことがなくなったよと孔子は言っています。心の状態が浮足立つということがない40歳だったということですね。
その心の状態の下で、五十になると、天命を知るようになったと論語にはありますね。孔子は、心の状態が浮足立つことがなくなった40歳の下で、50歳には天命を知ったのだそうです。
使命に生きるということは天命を知るということと相性が良いと思いますが、あなたは、天命と言えばどのようなものだとお考えですか?
あなたは、使命は何かを探すときに、天命を知る必要があります。あなたは、その天命にもう出会われましたか?
きっと、この記事を見ているあなたは、天命が何だろうかと、探している途中であったり、或いは、これが天命だと決めきれない状態ですね。
実は、誰にでも天命を知る機会があります。
人生は自分で切り開くものです。
ですが、論語にいうように48歳、49歳、50歳になったら、自然に天命を知ったという話は身近でも聞くことがありません。そして、理想の生き方だと言われていることからも分かるように、現実においては50歳になって天命を知る人は極めて少ないと言えそうです。
普通に、そして自然に、生きているというだけでは天命を知る機会には恵まれていないように思えます。
ただ、繰り返しになりますが、
誰にでも天命を知る機会はあり、
人生は自分で切り開くものです。
その観点から見て、
33歳で天命を知ることや、
40歳で天命を知ることは、
十分に起こり得ます。
別の機会に書きますね。
ここでは次のように捉えてみて下さい。
天命を知る、使命を探しているということは、あなたの身近にいる人との関係や場によって、あなたに天命を諭したり、あなたが天命を諭したり、天命と相性の良い使命はこういうものだと、お互いに気付かせあうような環境ではなかったということです。
そのような環境であっては、50歳どころか55歳になっても65歳になっても自ら切り開く人生という意味合いにおいて、天命を知ることは出来ません。
この記事をキッカケに、あなたが天命を知ったり、自分の使命を知ることになれば良いなと思っています。
よろしければ、引き続き別の記事もお楽しみ下さい。
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