2018年2月23日金曜日

天命を知る。天という文字。命という文字

テーマは「天命を知る」です。この記事をご覧の方は、自分の人生に誠実で、経験を生かした使命に生きようとする方だと思います。このところは論語に出てくる孔子の生き方を入り口にして書き綴っていることもあり、特に40代半ばから50代半ばの方に相性の良い内容になることを意識して書いています。

天命という文字を漢字で見ますときに、天という文字がありますね。

天とは何でしょうか?

天命という文字を漢字で見ますときに、命という文字がありますね。

命とは何でしょうか?

あなたは、どう思いますか?

答えのないような質問に答えようとすることは、一見して無意味なことだと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、答えのないように思える質問に対して、何も考えないで生きるよりも、シャープな質問と出会い続けることを通して答えに迫ろうとする姿勢を磨いておく方が、人生はより良いものになります。

少し話を変えますね。

私自身は、天命や使命は重いものと考えています。多くの人は、私とは違う意味かも知れませんが重いものとお考えの方が比較的に多いとは思うのですが、一体どうして重いものだと捉えることが多いのでしょうか?

それは、天命や使命は特別なことだと見ているからではないでしょうか?

ただ私は思うのですが、天命や使命は特別なことではなくて、歩いているときにも非常に関わり深いものが天命や使命ですね。

食事をしているときも、
雨が降っているときも、
晴れているときも、

「え?何だよ、それ」

と思われるかも知れませんが、

天命や使命とはそういうものですね。
本来は。私はそう思っています。

身近なものです。

天命や使命を知っている状態で食事をするのと、天命や使命について何も考えない状態で食事をするのと、食事の仕方は全く変わるとは思いませんか?

あなたも、

本の中での出会い、
テレビの中での出会い、
ドラマの中で、
ドキュメンタリーの中で、
映画の中で、

そのような光景に出会っていると思います。

一度や二度ではありません。
実はたくさん出会っています。

あなたが出会っている日常的な光景の中にも天命や使命は沢山、埋め込まれているんですね。

そのような意味合いで捉え直すときに、天命や使命は、重いものだと受け止めています。

話を元に戻します。

天とは何でしょうか?
命とは何でしょうか?

別の記事に譲ります。




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