2018年2月28日水曜日

結果はどこから生まれるのだと思いますか?

この記事をご覧の皆さんは、人生は結果を見られるということに関心のある方だと思います。特に、結果はどこからくるのかということについて触れている文章です。



ゲームに例えます。
人生をゲームに例えてみます。

将棋のゲームであれば、将棋の勝敗を見られますね。

勝利したのか?
敗北したのか?

勝利するやり方をしたのか?
敗北するやり方をしたのか?

勝敗という結果は、
勝敗を分けるやり方から現れます。

人生も、ゲームと同じで見立てることが出来ます。

人生は、結果を見られると思いますが、その結果を出そうと思うなら、結果の出どころが気になります。

結果は、どこからくると思いますか?
このことについて少し考えてみます。

どう生きれば良いのかを追求しようとしますと、それは結果が出る生き方であったり、結果を出す生き方に行きつくかと思うんですね。

ところが、結果はどのようにすれば出るのかということについて、関心はあったとしても、深く考えることは多くの方はないように思います。

奥が深い領域だからか、追求しだすと出口が見えない迷路の中に入っているような心もちになることも多く、途中で追及を止めてしまい、やがては考えることをしなくなることも多いのでしょう。

一方、この記事をご覧の方は、

結果をどのように出すのかということについて関心のある方ですし、深く考えている方が多いと思うので、今から表現するキーワードくらいは直ぐに到達するでしょうし、

「何だよ、そんなことか、そのくらいは知っているよ、島崎」と思われるかもしれません。そう思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、次のキーワードのみならず、そのキーワードが次に指し示す別のキーワードは何かを探しに行ったり、関連する別のキーワードは何だろうかと読みあてたりしてみて下さい。


結果はどのようにすれば出るのでしょうか?結果が出るには、結果が出る「やり方」をするということです。

人生は、結果を見られます。

どう生きれば良いのだろうかという問いについて。それは、結果が出る生き方をしましょうということですし、それには結果が出るやり方をやりましょう、という話です。



引き続き、別の記事でも書き綴りたいと思います。ありがとうございました。

2018年2月27日火曜日

生き方をどのように整理しますか?

人生をテーマにすることが多い私のブログです。私のブログを見て頂いている多くの方は、自分の経験を生かして使命に生きようとしている方だと思います。そして、その方たちに向けた記事になれば良いなぁと意識しています。

人生。

どんな人になってどう生きるのか。そして、どう生きるのかのところでは特に、何をやるのか。その何をやってきたのか、その結果について少し、掘り下げた内容になっていますのでよろしくお願いします。



どう生きるのか?

生きていると必ず自分以外の人と何かしらの関わりを持ちますね。その人にも人生はあり、あなたはその人の人生に何らかの形で触れています。

その人の人生を見ることがあると思います。

あなたの人生も、きっと誰かから見られていることでしょう。あなたの人生は、誰かに見られています。何を見られているのでしょうか?

人生は何を見られていると思いますか?

ゲームに例えてみたいと思いますが、皆さんの好きなゲームは何でしょうか?ゲームには、色んなゲームがありますね。将棋ですとか、囲碁ですとか。

将棋の中でも色々なゲームがありますね。将棋崩しであったり、周り将棋であったり。正規のルールもありますし。

正規のルールで競う世界では、

このところは羽生善治棋士による永世七冠を名乗る資格を得る偉業と国民栄誉賞を受賞される出来事でしたり、中学生でプロ棋士となった藤井聡太四段が五段昇段を果たし、五段になって16日間で六段へと昇段するという偉業を為し得る出来事がありましたね。

将棋の世界が賑わっていることを感じる機会が増えましたね。

人生をゲームに例えるとしまして、そのゲームとして将棋を見立ててみますと、

将棋では何を見られるのかと言いますと、勝負の結果を見られます。

勝ったのか?
負けたのか?

将棋というゲームでは勝敗を見られますね。勝敗をもたらす過程であったり姿勢であったりも見られることがあろうかと思いますが、多くの人が着目するキッカケとなるのはやはり勝敗でしょう。

羽生善治二冠も藤井聡太六段も、将棋の勝敗を見られています。

人生もゲームとして見立てることが出来るのであれば、将棋と同じように結果を見られることになります。

あなたの人生は、あなたの生きてきた結果を見られます。本記事では、将棋に触れながら、人生は結果を見られるということをお伝えしています。

いつも見て頂いてありがとうございます。
別の記事も是非ご覧ください。

2018年2月26日月曜日

人生50年。あなたは、何をやってきましたか?

いつも見て頂いてありがとうございます。本記事は、50歳を超えている方、若しくは50歳に迫ろうとする方にとって特に相性の良い内容になればと意識して書いたものです。

良かったら、読んでいって下さい。

あなたは何をやってきたのですか、と言われたときにすぐ答えることが出来ますか?

やっていることと言えば沢山ありますし、色んなことをやっていると思います。あなたが50歳であれば、50年間分もやってることがありますね。私は40歳ですので、40年間分もやってきていることがあります。

ただ、島崎は何をやってきたのかということを一言で表すことは結構にして難しいです。やっていることを表現するとか、名前をつけることは難しいです。やっていることはたくさんありますし。

一方で、歴史上の人物については、やっていることを何故か一言で、私たちは表現することが出来てしまいます。

例を挙げます。

三国志の劉備玄徳でいえば桃園の誓いというのをやりました。他にも彼は三顧の礼というのをやりました。

三国志というのは3つの国がありまして、魏という国と、呉という国と、蜀という国とがあります。

まだ、蜀という国がなかった頃がありますし、その頃から蜀という国を創るようになった経緯がありますが、そうした蜀という国を建てる建国を劉備玄徳はやりました。

私が大好きな劉備玄徳の話でしたが、皆さんにおいてはどうでしょうか?

皆さんの好きな偉人として、歴史上の人物に坂本龍馬があがるなら、坂本龍馬がやったことを挙げるとすれば何ですか?すぐに挙がることが一つ、二つはあるかと思います。

ですが、龍馬がやっていることはそれ以外にも沢山ありますよね。私が大好きな劉備玄徳も、桃園の誓いと三顧の礼と建国だけをやってきた人生ではありません。

そのように、

人生というのも、やっていることは沢山あるのですが、沢山あるのを全部ひっくるめて人生と言いたいですよね。何をやっているとか、どう生きているですとか。

人生を一言で表現することは難しいですが、やってきたことを誰か他の人や周りが見ますときにクローズアップしやすい結果について、その結果を後から振り返ったときには、

その他の人から見るときに、彼はこのようなことをやりましたね、彼女はこのようなことをやりましたね、ということが出来るのだと思います。

これも一つの評価と言えるとは思いませんか?

今日は、何をやってきたのかを自分で言うことは難しいことですが、第三者がそれを結果として見たときには、形ある分かりやすい何かに置き換えて表現されるという点について触れてみました。

ありがとうございます。
良かったら別の記事も見て行って下さい。

2018年2月25日日曜日

人生は、何を見られるのか?

人間は、時として評価されますね。私たちは誰もが皆んな、人から評価されるではないですか?人によっては、評価する側かも知れませんが、評価したり、評価されたり、するのだと思います。

この点について、特に異論のない方と共に、評価について少しだけ考えてみたいことがあります。

何が評価されるかというと、やってることとか、してきたことの、その結果を評価されると思いませんか?

私自身のエピソードを交えます。

歴史上の人物では、私は劉備玄徳という人物が大好きなんですが、私が劉備玄徳を大好きになる際には劉備玄徳がやっていることを評価していますね。

桃園の誓いもそうですし、
三顧の礼もそうです。

まだ国をもっていない時から始まって、やがては国をもつようにもなる彼ですが、彼が国を建てるまでに色んな人たちが彼のもとに集ってくることも、それに当たります。

彼は今風に言えば、「こちらにおいで、一緒にやろうよ」と言って招待しますし、「あなたの下で一緒にやりたいです」と言われて受け入れる訳ですが、色んな人を食べさせておりまして、当時の戦乱で国が荒れてる状況はまさに戦いに次ぐ戦いの中で、国を立て直そうと立ち上がっていますね。

そして当時もあります税金ですね。せっかく作ったお米をたくさん持っていかれます。大量のイナゴが発生したり洪水で川が氾濫するなどして、大変な最中にも税金ですね。人の心が疲れ果てていくのですが、だんだん荒れていく訳ですね、国が。

人の心を安らかにさせていくという彼のやってきたことを、私に評価されるわけです。人に希望を感じさせていくという彼のやってきたことを、私は評価していました。

私たちにおいてはどうでしょうか?

私たちにおいても、仕事をしたり、活動する人にとっては、仕事の内容を見られたり活動を見られたりしますね。

「人生、何をやるのか?」

その何をやってきたのか、という中の、やってきたことが評価されるということについてクローズアップしています。

別の記事も良かったらご覧になって下さい。
ありがとうございました。

2018年2月24日土曜日

三国志の劉備玄徳に関心をもつまで

テーマは人生、使命ですが、本記事は人生について掘り下げてみたいと思います。

(人)どんな人間になって?
(生)何をやるのか?どう生きるのか?

別の記事にも触れていますが、私は三国志の劉備玄徳が大好きです。通常は、どんな人であるかに関心を持っていると思うのですが、一方でと言いますか実は、だいたいの場合は何をやるのか?ということを入り口にして関心を持ちますよね。

私自身の話を例とします。

私は、最初からは劉備玄徳という人は知りません。そして、名前も覚えられないんですね。漢字が難しいんです。昔の中国の人の名前ですし。

そして、初めて触れるとき、
劉備玄徳を知りません。

劉備玄徳という人は分からないのですが、三国志に触れていく中で、次第に彼のやっていることに関心をもつんですね。

そのようにして、私が劉備玄徳を好きになるエピソードというものに、桃園の誓いというのがあります。

ある三人の男たちが義理の兄弟になるというエピソードがあります。当時の義理の兄弟と言いますと、ある意味では家族以上に家族になるという意味ですね。

私は、そういうのが大好きです。

それから、有名な軍師である諸葛亮孔明を自分のところに招き入れるという三顧の礼というエピソードもあります。

桃園の誓いですとか、三顧の礼ですとか、彼のやっていることに私は関心をもつ訳です。彼のやっていることを私は結果として見る訳です。

如何でしょうか?

例えとして適切であったかは分かりませんが、この例のように、最初から人に関心をもつということよりも、何をやってきたのかというところに多くの人は関心を持つのではないでしょうか?

今日は、

人生のうちの生き方、あるいは何をやるか、もっと言いますと何をやってきたのか?という結果の部分に着目して人生について考えています。

見て頂いてありがとうございました。
別の記事に続きます。

ぜひ、そちらもご覧になって下さい。

2018年2月23日金曜日

天命を知るということ・・・知るということ

人間は、1人で生きていくことは出来ません。この記事では、多くの人が語られているような角度とは少し違う角度になるとは思いますが、教育について触れたいと思いますし、学ぶことについて、そして学問について触れたいと思っています。

教育ですとか、学問ですとか言いますと、少し大きな話にも思えるようなテーマかも知れませんが、よくよく考えますと実はものすごく日常的なことだと思うので、ぜひ読み進めてみて下さい。

使命について、テーマとして話しますが、入り口を教育に置いている記事です。

論語に天命を知ると出てくるのですが、知るというところに着目してみます。

天命というところに着目しますと、

天とは何か?
命とは何か?

について掘り下げることになりますが、それは別の記事に譲ることにします。

今日は、知るというところに着目しますと、あなたは沢山の知る機会に出会ったことと思います。

小学校において、
中学校において、
高校において、
そして大学であったり、

或いはそういう学びの環境だけではありませんね。他にも知る機会として、

家族家庭環境がありますし、
職場環境がありますし、
アルバイトの環境もありますし、

色んな人とのふれあいの中で、沢山のことを知ってきたのではないかと思います。


学問の領域でも、

算数・数学を知りますし、
国語・英語を知りますし、
理科を知りますし、

理科の中でも化学・物理学・生物学などを知るようになりますね。そして、当たり前に思えるようなことではありますが、

私は男だ、
私は女だ、

ということについても、知るという領域になります。何事も、知ることから始まるともいえるかと思います。

小学校一年生の男の子が大学生一年生の問題を解くことが出来ません。大学一年生に与えられた問題を解く上で、情報が足りないからですね。知るということが足りていないからですね。

知っているということを前提に、社会を営んだり関係を築いたりしています。

ところが、一体なにをすれば知っているということになっているのでしょうか。その、知ることの基準とは一体なんでしょうか?

知るとはどういうことでしょうか?

一体、知るということは、どこから、或いはどこまで、

一体、何がどうなっていれば知ると言えるのでしょうか?

あなたは考えたことがありますか?

知っているということの基準について、あなたに教えてくれた先生、教えてくれた親、あなたが教えてきた人たち、あなたが学んできたこと、その全てにおいて、その知ると言う基準に理解が深まるような機会はあったでしょうか?

話を使命に戻します。

天命を知るということもそうですし、自分の使命は何かを知るということも、天命は何か、使命は何かを考えることも大事だと思うのですが、一方で知る基準というのも大切なことだと思いませんか?

この基準を外しますと、本当に知っていることになるのか、知らないことになるのか、あやふやになりますね。

知っていることも、
あ、知らなかったんだ、
ということは沢山あります。

知らないということも、
あ、知っていたんだ、
ということも沢山あります。

論語に出てくる天命を知るということ、

私や、
あなたが、

自分の使命を知るということ、そこにも知るという基準が働いています。


世の中、教育によってなりたっていますね。人間は、1人で生きていくことができませんね。そのとき、必ず知るということが入ってくると思います。その知るということの基準について、今日は考えてみました。

また、別の記事で、別の角度から知るということについて掘り下げてみます。

天命を知る。天という文字。命という文字

テーマは「天命を知る」です。この記事をご覧の方は、自分の人生に誠実で、経験を生かした使命に生きようとする方だと思います。このところは論語に出てくる孔子の生き方を入り口にして書き綴っていることもあり、特に40代半ばから50代半ばの方に相性の良い内容になることを意識して書いています。

天命という文字を漢字で見ますときに、天という文字がありますね。

天とは何でしょうか?

天命という文字を漢字で見ますときに、命という文字がありますね。

命とは何でしょうか?

あなたは、どう思いますか?

答えのないような質問に答えようとすることは、一見して無意味なことだと思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、答えのないように思える質問に対して、何も考えないで生きるよりも、シャープな質問と出会い続けることを通して答えに迫ろうとする姿勢を磨いておく方が、人生はより良いものになります。

少し話を変えますね。

私自身は、天命や使命は重いものと考えています。多くの人は、私とは違う意味かも知れませんが重いものとお考えの方が比較的に多いとは思うのですが、一体どうして重いものだと捉えることが多いのでしょうか?

それは、天命や使命は特別なことだと見ているからではないでしょうか?

ただ私は思うのですが、天命や使命は特別なことではなくて、歩いているときにも非常に関わり深いものが天命や使命ですね。

食事をしているときも、
雨が降っているときも、
晴れているときも、

「え?何だよ、それ」

と思われるかも知れませんが、

天命や使命とはそういうものですね。
本来は。私はそう思っています。

身近なものです。

天命や使命を知っている状態で食事をするのと、天命や使命について何も考えない状態で食事をするのと、食事の仕方は全く変わるとは思いませんか?

あなたも、

本の中での出会い、
テレビの中での出会い、
ドラマの中で、
ドキュメンタリーの中で、
映画の中で、

そのような光景に出会っていると思います。

一度や二度ではありません。
実はたくさん出会っています。

あなたが出会っている日常的な光景の中にも天命や使命は沢山、埋め込まれているんですね。

そのような意味合いで捉え直すときに、天命や使命は、重いものだと受け止めています。

話を元に戻します。

天とは何でしょうか?
命とは何でしょうか?

別の記事に譲ります。




2018年2月21日水曜日

50歳になると天命を知るようになると思いますか?

この記事は、テーマを「不惑」と「天命を知る」においています。自分の使命に生きようとする中で、自分の経験を生かして人生をより良くしたいと思っている方を意識して作っています。また、自分の人生は自分で切り開くと思われている方に相性が良い記事です。

今回は、少しだけ長めとなりますが、共有共感してくれたら嬉しい内容ですし、語り合いたい内容でもあります。

良かったら、
お付き合いください。

論語では、四十になると戸惑うことがなくなったよと孔子は言っています。心の状態が浮足立つということがない40歳だったということですね。

その心の状態の下で、五十になると、天命を知るようになったと論語にはありますね。孔子は、心の状態が浮足立つことがなくなった40歳の下で、50歳には天命を知ったのだそうです。

使命に生きるということは天命を知るということと相性が良いと思いますが、あなたは、天命と言えばどのようなものだとお考えですか?

あなたは、使命は何かを探すときに、天命を知る必要があります。あなたは、その天命にもう出会われましたか?

きっと、この記事を見ているあなたは、天命が何だろうかと、探している途中であったり、或いは、これが天命だと決めきれない状態ですね。

実は、誰にでも天命を知る機会があります。
人生は自分で切り開くものです。

ですが、論語にいうように48歳、49歳、50歳になったら、自然に天命を知ったという話は身近でも聞くことがありません。そして、理想の生き方だと言われていることからも分かるように、現実においては50歳になって天命を知る人は極めて少ないと言えそうです。

普通に、そして自然に、生きているというだけでは天命を知る機会には恵まれていないように思えます。

ただ、繰り返しになりますが、

誰にでも天命を知る機会はあり、
人生は自分で切り開くものです。

その観点から見て、

33歳で天命を知ることや、
40歳で天命を知ることは、

十分に起こり得ます。
別の機会に書きますね。

ここでは次のように捉えてみて下さい。

天命を知る、使命を探しているということは、あなたの身近にいる人との関係や場によって、あなたに天命を諭したり、あなたが天命を諭したり、天命と相性の良い使命はこういうものだと、お互いに気付かせあうような環境ではなかったということです。

そのような環境であっては、50歳どころか55歳になっても65歳になっても自ら切り開く人生という意味合いにおいて、天命を知ることは出来ません。

この記事をキッカケに、あなたが天命を知ったり、自分の使命を知ることになれば良いなと思っています。

よろしければ、引き続き別の記事もお楽しみ下さい。

2018年2月20日火曜日

部下が失敗。あなたは不惑の心の状態でいられるか?

本日の記事は、部下がいる方にとって読みやすい内容であることを意識しながら書き綴っています。

そしてテーマは使命です。
入り口を不惑に置いています。

不惑について触れている別の記事がありますから、まずはそちらを先にご覧になってから、戻ってきて下さいますようお願いします。


心がどういう状態なんでしょうか?
あなたは、心は何だと思いますか?

あなたに部下がいることを振り返ってみます。

部下が仕事で大きな失敗をした場合、しかもその失敗はあなたから見たら未然に防げたであろう失敗に遭遇した場合を考えます。

仕事は相手がありますし、
状況や環境がありますので、

うまくいかないことは当然起こりますよね。そのような意味合いから失敗には必ず出会います。その失敗と出会うときに、周りを問題にするのではなくて、自分側で防げることはたくさんあると思いませんか?

ここで想定している失敗は、部下自身の問題であったとします。部下が少し意識を張っていれば未然に防げるものであるような場合です。

本来は未然に防げますし、起きようのなかったタイプの失敗が起きるときに、想定していること以上に

お客さんにも迷惑をかけます。
会社にも迷惑をかけます。


そのときの心はどういう状態ですか?

不惑。惑うことなし、と言いますと、

そのときの行動とはどのようなものでしょうか?
そのときの表情とはどのようなものでしょうか?

そのときに使っている言葉ですとか、考えはどうでしょうか?

自分のことを見るのは難しいですが、このように自分のことを見ながら人とお付き合いしていくことは、相手のためにも自分のためにも良いことに思えますね。


不惑。
惑うことなし。

心については、また別の角度から、別の切り口で書き綴りたいと思います。

いつも読んでくださってありがとうございます。

2018年2月19日月曜日

理想の生き方は、40歳になると不惑なんだそうです

使命について考える記事にしたいと思っています。心とは何か、関心を持たれたことがある方に特にみてもらいたい内容です。

論語には、四十になると惑うことがなくなったという孔子の言葉があります。40歳になると戸惑うことがない生き方は、東洋では理想の生き方だと言われています。ここ日本でもそうですね。

あなたが四十になっていれば、もう惑うことはない状態であれば、理想的な生き方ですね。

惑うことがない。
戸惑うことがない。

それは一体どういうことなのか、これについて考えてみたいです。

何だと思いますか?

心が戸惑うことがない状態。
心は何だと思いますか?

もし、子どもがいじめられたときにも惑うことがないという、そのときの心の状態とは何でしょうか?


自分の子どもがいじめにあいました。
自分の子どもが病気になりました。

その風邪のようなものではなくて、原因不明と思われるような病気出会った場合。あとになって、風疹だったと知る訳ですが、原因が分かる前までの心の状態、それはどういう状態でしょうか?

引き続き、別の記事でも心について掘り下げた話をしたいと思っています。ぜひ、そちらもご覧になって下さい。 

2018年2月18日日曜日

使命について考えるとき、考えの入り口を何においていますか?

この記事は、40代半ばから50代半ばの方に特に読んでいただきたい内容です。本ブログでは全般的に、人生や使命について触れることが多いですが、本記事では特に使命について書き綴りたいと思っています。

使命について考えるとき、あなたは、その考えの入り口を何においていますか?色んな切り口での考えがあろうかと思います。

本記事では、

ある人の生き方、
論語を入り口にします。



中国に孔子と言う方がいらっしゃいました。この人が、弟子たちに言ったことを紹介します。

「40歳では惑うことがなくなったよ」

今風にいえば、40歳になったらそわそわすることがなくなったよということでもありますし、戸惑うことがなくなったよ、囚われることがなくなったよということになるのでしょうか?

皆さんにおいてはどうでしょうか?

あなたがもし、45歳、48歳であれば、惑うことがないという時期に入っているのかも知れません。

それは、孔子を人間の生き方のモデルとするならば、40歳を超えて50歳が近くなってくると、惑うことがないような生き方になっていると、人間の模範であり生き方のモデルであると言えます。

そして孔子は言います。

「50歳になると天命を知ったよ」

あなたは、どうでしょうか?

使命に生きようとされているあなたは、45歳をまたいできますと、不惑、惑うことないということに加えまして、天命を知ることについても考える機会が増えてくるのではないかと推察します。

このことについて、引き続き書き綴っていこうと思います。良かったら、別の記事もご覧になってください。

2018年2月17日土曜日

ある人の人生を振り返る。40歳、50歳になると?

この記事に関心が高い方は、自分の経験を生かして使命に生きたいと考えている方が多いと思われます。その中でも、40代後半から50代半ばまでの人に特に見て頂きたい内容を私は意識しました。

以前、人生を考える上で、生き方の結果を見られるという記事を書いています。その様な意味合いでもあるのですが、本記事では、ある人物を取り上げます。

その方は言いました。

「振り返れば私は、40歳になったら惑うことがなくなったよ」
「振り返れば私は、50歳になれば天命を知るようになったよ」

あなたは、聞かれたことがあるかも知れませんね。中国の昔、孔子と言う方がおりまして、その方が言われた言葉です。お弟子さんが聞いたものをまとめた論語というものがありまして、日本でも有名ですね。

その論語に書いてあります。

別の記事でも引き続き、「四十にして惑わず」「五十にして天命を知る」について書きたいと思います。

2018年2月16日金曜日

50歳。天命を知る理想の生き方は、自分で切り開く

テーマは使命です。この記事では、論語に出てくる「天命を知る」に触れながら、使命について考えてみたいと思います。一度で書ききれるものではありませんので別の記事と合わせて書き綴っております。

良かったら別の記事とも合わせてお読みください。


孔子自身の話ですね。
「50歳になると天命を知ったよ」

彼はそのように言います。
そこで考えます。

私たちはどうでしょうか?
あなたはどうですか?

あなたは、50歳になると天命を知ることになりますか?あなたが47歳であれば、あと3年経てば天命を知るでしょうか?あなたが53歳であれば、3年前に天命を知ったでしょうか?

本記事を読み、本ブログに関心を持たれている方は、まだ天命と出会われていない方だと思います。自分の使命とは何だろうかと追及する中で、天命とは一体なんだろうか、と探しているときに、本記事に少しばかりの興味を抱き、何か得られるかもしれないと思い、読まれている方だと思います。

孔子自身の話としては、
彼は50歳で天命を知ります。

そして、東洋では彼のような生き方は理想的な生き方だと見る傾向が少なからずありまして、経営者の方や、組織のリーダーの方を中心として好まれることが多いようです。

孔子を初めとして偉人たちは皆んな、人間不変の原理、宇宙自然の摂理を語りますね。彼も人間不変の原理を説こうとしています。

そんな意味合いからして、
人間は、50歳で天命を知るのでしょう。

しかし一方で、
こうも思いませんか?

天命を知ることが人間に起きることであるならば、それは本当に50歳という時、そのタイミングで知るものなのだろうか、と。そして、その50歳という年齢こそが普遍的な原理なのであろうか、と。

そして、
こうも思いませんか?

天命を知るのが早いほど、
より良い人生を築ける、と。

あなたは、どう思いますか?

50歳になると自動的に天命を知るようになると考えていますか?或いは、年齢に寄らず、自らの選択や意思決定によって天命を知ることに迫れると考えていますか?

私は思うのですが。

この記事を読んでくれているあなたは、きっと前者よりというよりも後者よりなのではないかと思っています。

なぜならば、

50歳になると自動的に天命を知るだろうと思っている方は、そもそも天命に関心が弱いでしょうし、本ブログと出会っても、詰まらなくて面白くないと感じるでしょう。検索などにもヒットしませんし関連づけされることがありませんので出会えないようになっています。

私自身は、自分の人生を天に任せるのは好きではありません。人生は自分で切り開くものです。そして使命についても、私自身が経験していること、人間が経験していることと、そう遠くないことから生まれるものとの確信があります。

惰性で生きている人生では天命とは出会えず、人生に誠実で、一生懸命に生きているところから天命との出会いは果たされるものだと思っています。

それだからこそ。

孔子その人が50歳で天命を知ったということをどう理解すれば良いのかについては別途、別の記事で深めていけたらと思っています。

少し長くなりましたが、読んで頂いてありがとうございました。よろしければ、別の記事にも寄っていって下さい。

2018年2月15日木曜日

あなたの人生にとっては使命は重いものですか?

人生や使命について考えることが多い本ブログです。この記事は特に、最近、使命に生きようとして使命とは何だろうか、自分の経験からくる使命とは何だろうかと追及している人に喜んでもらえることを意識して書いています。

ぜひ、読んでいって下さい。

もしそうでない方であっても、この記事を通して使命について、人生について、考える良い機会になればと思います。

生きていると自分の人生は一体なんだろうか、私の使命は一体なんだろうか、と考えることがありますが、簡単に答えの出るテーマではないためか、多くの人は考えることや意識することをやめてしまう傾向がありますね。

あなたは、どうでしょうか?

自分の使命が何かを考えたことがあると思いますが、現時点で使命が明確になっていらっしゃいますか?私の使命はこれだと掲げている方はいますか?

まだ、そこまでは行っていない方だと私は思うんですね。だからこそ、この記事に出会っていると思いますし。

非常に奥深いテーマですし、この記事だけで全てを語れるものでもないと思っています。簡単なテーマではありませんし、使命がすぐに見付かるものだとも思ってはいません。

使命という漢字から、命を使う、と解する人もいらっしゃるかと思います。

あなたは、命を何に使いますか?
あなたは、命を何に捧げますか?

別の角度から使命について考えてみますと、論語に出てくる「天命を知る」という表現がありますね。孔子自身のお話です。50歳になると天命を知ったよ、という。

あなたは、50歳になると天命を知ることになりますか?あるいは、もう天命を知る50歳になっていますか?

使命や人生について別の角度からも触れ合えたら良いと思っています。

2018年2月14日水曜日

使命。重いもので味わい深いもの

本ブログをご覧になっている皆さんは、人生や使命について考える方が多いと思います。そして、自分の経験を生かした使命に生きようとする方に読んでいただいているものと思っています。

本記事はその中でも、自分のことは悩まないくらいの精神的な安定や経済的な安定を手にしている方に相性の良い記事になれば良いなと思いながら書き綴っています。

今日は、使命をテーマにします。

あなたは、まだ自分の使命が何であるのかを見つけていられない方ではないでしょうか?そんな中で私のブログを見つけて頂いて、この本記事から何か得られるものはないかと少しばかりの期待を抱いてくれていることをうれしく思います。

使命について尋ねます。

あなたにとって、
使命とは、

重いものと感じられますか?
軽いものと感じられますか?

これは人それぞれですので、重く感じようとも一つでしょうし、軽く感じようとも一つでしょう。そして、重く感じようとも軽く感じようとも、それが現時点でのあなたの使命との距離感なのだと思います。

私自身は、
使命を重いもので捉えます。

それは、人生においてとても味わい深いものだと受け取っている私がいるからです。私にとって使命はとても味わい深いんですねー。

それは人生を豊かにしてくれているものです。ですから、人生を引きずるものとしての重みであるとは認識していないです。

漢字を見ますと、

使命は命を使うと書きますね。命を使うという意味合いにおいても、味わい深いと思っておりまして、下で少し舐めた程度で味が分かるものとは思えない領域で見ています。

命(めい)と読みますと、

天命を知ると言われることもありますね。天命とは何かという話はここでは横に置いておきまして、天命という言葉が指し示しているイメージからも、日ごろから取り扱う話に上がってくるものではなく、やはり意味合いが深いものであると捉えます。

生まれてきたからには誰もが皆んなに使命があると言われる方もいらっしゃいますし、使命なんてものは分からなくても良いんだよと言われる方もいらっしゃいます。色んな解釈が行われるほどに深みを帯びている領域なのでしょう。

天命のほかにも、運命ですとか、宿命ですとか、命(めい)は色んな使われ方をされます。どれも、簡単に扱える言葉ではないのだと思います。

私自身は、そのような意味合いから、使命は重いものだと捉えており、人生においてとても味わい深く豊かにさせてくれるものだと思っています。

あなたは、使命は何だと思いますか?
あなたにとって、使命とは何ですか?

見て頂いてありがとうございます。
引き続き、別の記事もお楽しみ下さい。

2018年2月13日火曜日

より良い人生とは一体なんでしょうか?

人生をテーマにした記事です。

本記事は、自分の経験を生かして使命に生きようとする人に特に見て頂きたいと思っています。そして、「たいていのことは自分の問題だ」という口ぐせをお持ちになるほどに、自ら打開しようとする意志ある方に喜んで頂く記事を目指しています。

人生は

どんな人間になって
何をやるのか

その観点から本記事を書き綴っています。人生を、別の観点から書き綴っている記事は他にもありますので、関心ある方はぜひ、そちらもご参照ください。

先日、

多くの人の関心ごとは、「どんな人なのか」にあるにも関わらず、直接的に出会うのではなくて、「何をやっているのか(どう生きるのか)」に触れることを通して、出会おうとすることについて触れました。

また、

私は三国志の劉備玄徳が大好きなのですが、劉備その人を好きになるまでには、一体なにが起きているのかについて触れました。

本記事は、それを踏まえます。

もしあなたが、最初に本記事を読んでいる今の段階であれば、私という人間に関心はないはずです。あなたが関心があることは、次のようなことだと思います。

・より良い人生にしたい
・人生は自分で切り開くものだ
・人生をより良くする生き方
・自分の使命に生きる

そして本記事を読みながら、

あなたの心に胸打つものがあり響くものがあるときに、本記事を通して私のやっていることに好き・嫌いという判断が生まれます。好き・嫌いの判断が生まれるならば、私の書いている記事はあなたにとって意味のあるものですし、好き・嫌いの判断が生まれないならば、私の書いている記事はあなたにとって現段階では、何ものでもありません。

本記事を閲覧しているあなたと私の関係だけではなく、他の多くの場合においても、そのようになっているかと思います。

だからこそ、

考えたいことは、どのように生きるのかという点ですね。多くの場合は、やっていることに関心を持ってもらえることから関係が始まります。最初は、自分のことに関心をもってもらえません。

やっていること一つひとつは、その人自身の生き方によるところが大きいです。

人生をより良くしようとするのであれば、より良い生き方であろうとすることだと言えそうです。更に言えば、そのように思ってもらえるのか、そのように見てもらえるのか、ということです。そんな、より良い生き方が、一つひとつのあなたのやっていることに現れていきます。

いつも見て頂いてありがとうございます。別の記事も、よかったら読んで行って下さい。

私が劉備玄徳その人を好きになるまでに

人生をテーマにした記事です。

本記事は、過去に学び未来をより良くしようとする意志をお持ちの方に特に見て頂きたいと思っています。そして、歴史から学んだことに囚われることなく、しかし積極的に現代に活用しようとする方に響く記事を目指しています。

人生は

どんな人間になって(人)
何をやるのか(生)

私は、そう考えています。

別の観点から人生を書いている記事もありますので、本記事が面白いようであれば是非、そちらも読み合わせてみて下さい。



多くの人は、「何をやるのか(生)」についての関心ごとが多かろうと思います。「何をやるのか(生)」に触れることを通して、どんな人間であるのかに関心を寄せていきますね。

今日は、私自身のことを事例にします。

私は、歴史上の人物が大好きです。ですが、その人物を好きと気付くのは後の方になってからです。

最初にその人物を知るキッカケは、人そのものではなくて、その人が何をやってきたのかという、その人物の生き方の方に魅かれることでした。

私は、中国の歴史の中の三国志という時代、三国志という物語が好きです。そこに登場する人物は大体、どんな人も好きであったりしますが、その中でも断突に好きな人物がいます。

劉備玄徳です。
劉備玄徳が大好きです。

ですが、最初から劉備玄徳を好きだった訳ではありません。劉備玄徳を知らなかったときがありますが、初めに知ったときから直ぐに劉備玄徳を好きになっていた訳ではありませんでした。

私が劉備という人を好きになる前までに、劉備がどう生きたのか、劉備が何をやってきたのか、劉備がやっていることをまず最初に知るようになります。

そして、彼のやっていることを好きになります。彼のやっていること一つひとつが降り積もって、私自身の心に胸打つものや心が魅かれる何かが起こります。

そのうちに劉備その人が好きになっています。

ある意味では、劉備その人が好きになったときこそ、劉備を知ったときなのかも知れません。その頃から、今度はその劉備が何をやっているのかを興味持つようになります。

最初は、やっていることを好きになり、次に、やっている人物が好きになり、やがて好きな人がやっていることを好きになる、というように変化していきます。

今日も見て頂いてありがとうございました。引き続き別のブログ記事にも、寄って頂けたら嬉しいです。

2018年2月11日日曜日

人生は、どんな人間になって(人)、何をやるのか(生)

人生をテーマにした記事です。

本記事は、人生を誠実に生きてきた方に特に見て頂きたいと思っています。そして、自分のことを悩まなくなるくらいの安定を、精神的にも経済的にも築いてこられた方に相性の良いブログを目指しています。

そんなあなたとお話ししたいと思っています。

あなたにとって、人生とはどういうものですか?生きていると折に触れて考える機会があるテーマですね。そして中々つかみどころがないものでもあります。

人生を考えるとき、その考えの入り口として私は、人生という漢字を拾って次のように考えるという話を、以前の記事で紹介しています。

人。どんな人になって。
生。どう生きるのか。

「どう生きるのか」については
「何をやるのか」

というのと同じ意味合いで捉えて頂けたらと思います。生き方を考えるとき私は、その考え方から始めます。

多くの人は、自分も含めて他人に触れるときは、どんな人なのかという点に関心があるハズです。本性といいますか本質といいますか・・・。

ところが実際はどうでしょうか?

人に関心がある多くの人たちは、どんな人なのかについて直接的に触れる機会はあまりないように思います。

人に関心を抱くことよりも、
どんな生き方なのかの方に、

多くの人は魅かれるように思います。更に言いますと、どんな生き方なのかを知ることを通して、どんな人なのかを知ろうとしますね。

生き方に魅かれて、
人を好きになる。

例えば、本ブログもそうです。

もし本記事を最初に読んだあなたでしたら、初めて出会う本記事を読んでいる今の段階で私に関心がある訳ではないでしょう。

あなたは、私には関心はありません。
あなたに関心があるのは記事の内容です。

記事の内容が、あなたの生き方と人生において響くものがあるときに、少しくらいは、私の生き方に関心を寄せることに私は成功します。

そして、それには本記事だけでは難しく、別の記事も抱合せて読んでいくうちに、次第に、少しずつ、本ブログそのものに関心を抱いて頂けます。

その段階でもまだ、
私には関心がないかも知れません。

人生。

人。どんな人間になって。
生。どう生きるのか。

読んでいただいてありがとうございました。別の記事も、よかったらぜひ、読んでみて下さい。

2018年2月10日土曜日

人生を考えるときの考えの入り口

本ブログは、このような方に特に見て頂けたら嬉しいです。

・人生を誠実に生きていらっしゃる方
・自分のことは悩まないくらいの土台を、精神的にも経済的にも築いてこられた方
・人生や使命について考えていらっしゃる方

本ブログを通して、語らえたら嬉しいと思っています。よろしくお願いいたします。



あなたは、人生を考えるとき、まず何から考えますか?人生を考える、その考えの入り口は何でしょうか?

人生のことを考える機会は、誰しも一度や二度はあろうかと思います。特にあなたは、人生についてよく考えてこられた方なんだろうと思いますし、最近、特に考え出すことが増えてこられた方なんだろうと思います。

改めて、人生について考えるとなりますと、あなたは、何から考えますか?その考えの入り口や切り口は、あなたにとっては何ですか?

私自身はこのように考えます。

人生という漢字を見ますと、人と書いて、続いて生きると書きます。


人については、
どんな人になってと解します。

生については、
どう生きるのか、
または、
何をやるのかと解します。

私自身は、

そのうちの特に、どんな人になってという人のところを、まずは大切にしたいと思っています。

今日も見て頂いてありがとうございました。
また、いらして下さい。

2018年2月9日金曜日

こんな方に読んでいただきたい

いつも見て頂いてありがとうございます。

このブログは、特にこんな方に見て頂いたら嬉しいと思っています。

人生に誠実な方。

生きていると色んなことがあります。悩むこともありますし、苦労することもあります。哀しいことやツラいこともあります。逃げたくなることも沢山ありますし、逃げてきたこともあろうかと思います。

ですが、逃げた先は何かしらの歩みがあったですとか、逃げてもまた、歩み出したですとか、その時々ではいろいろあっても人生を前に進めようとする姿勢に私は好感が持てますし、その方々とお話ししたいと思っています。

また、こんな方にも見て頂けたら嬉しいです。

自分のことを悩まない環境を築いてこられた方。精神的にも、経済的にも、一定の安定を築くべく努めてこられた方ですね。

今は、大変な時代です。
自分のことを悩みやすい時期です。

そんな大変な時代にも、自分のことを悩まないくらいの土台を築き上げてこられた方は、人生や使命のことを考える環境を自ら作ってきたのだと尊敬します。

そのような方々とお話ししたいと思っています。

今日も見て頂いてありがとうございました。
また、いらして下さい。

2018年2月8日木曜日

あなたと一緒に考えたいテーマ

訪問してくれてありがとうございます。

自分の経験を生かしたい人、そして経験を生かした使命に生きようとする人にとって、このブログの記事がお役に立てるように書き綴っていこうと思っています。

生きていると色んなことがあります。自分の人生であるのに、いったい、誰の人生なんだろうかと悩む時期が誰にも一度や二度はあろうかと思います。

人生とは一体、なんでしょうか?このブログでは、人生を一つのテーマに置けたらと思っています。

また、もう一つのテーマとして使命も大切にしたいと思っています。自分の経験を生かす使命、命を使うと書く使命。

使命とは一体、なんでしょうか?
あなたは、使命は何だと思いますか?

人生、そして使命。
これは、あなたと一緒に考えたいテーマです。

人生や使命というテーマにおいて、あなたの生き方に、今までになかった何かが本ブログにあると感じて頂けるよう努めていきます。

今後ともよろしくお願いします。