自分の弱さ
生きておりますと自分の弱さを目撃する事が多々あります。父親として子供の前では立派であろうとしたり、良き存在であろうとしましても、弱さは弱さとして、自分と共に生きているものです。
人間の弱さ
自分とは一体、何でしょうか?
生きていると一度や二度くらいは、誰もが皆んな考えるテーマかと思います。答えがない質問に思えますが、実際のところはどうでしょうか?
あなたにとって答えが無いのなら、考えなくとも良い事でしょうし悩まなくても良い事でしょう。本記事を読む必要は無さそうです。
あなたにとって答えが有るのでしたら、本記事がそこに迫る一役を担えたらと前向きに思うところです。
さて、自分とは一体どういう存在かを問います時に、植物でもなく、動物でもなく、人間だと言える事が出来るかと思います。人間がどういう存在かと言いますと、これはまた難しい質問なのでしょう。
色んな人の色んな解析があろうかと思いますが、その内の有力な解析の一つに、人間とはこの様な存在だと見ている方がいらっしゃいます。
人間は弱い存在だ。
聞かれた事はありますか?
自己否定
人間でしたら誰もが皆んな、程度の違いこそあれ行っている自己処理があろうかと思います。その内の一つがこちら。
自己否定。
誰も進んで取り組みたくない自己処理でありますが、しかし何故か自己否定という認識処理を行ってしまいがちです。
否定する社会環境
人間は弱い存在かも知れません。
人間は自己否定の認識処理をします。
海とお魚の例えを用います。
弱い存在のお魚、そして自己否定の認識処理をするお魚が泳いでいます。そのお魚が泳ぐ海があります。弱い存在を生み出し自己否定の認識処理を加速する背景である社会環境です。
どの様な海でお魚は泳ぐのか?
否定する社会環境。
そんな海を泳ぎます。
自然環境は弱肉強食
よく観察しますと、自然環境は弱肉強食です。よく観察しないまでも、あなたは自然環境が弱肉強食である事を知っているし理解している事でしょう。
宇宙自然において、弱い存在は生き残らない様なメカニズムが働いているかの様に目に映ります。
資本主義社会も弱肉強食
現代は、資本主義社会です。
ここ日本も資本主義社会。
宇宙自然という環境が弱肉強食であった様に、それとは少し次元が違うかも知れませんが、弱い存在は生き残れない様なメカニズムが市場には働いておりまして、資本主義社会もまた弱肉強食の世界です。
日本は弱者に厳しい
日本というこの国では特に弱者に厳しく見える風潮や習慣があります。超一流を育む国でもありますが、弱い存在を敬遠する傾向は少なからずありまして、弱い存在にならない様に努力したり、弱い存在と関わりを持たない様に計らったりするかも知れません。
日本は弱者に厳しいという見方があります。
現代人に憤怒あり
その様な海です。
その様な環境です。
もし、人間が弱い存在で、自己否定が起こり易い傾向があるのでしたら、その様なお魚を育む弱肉強食の環境や弱者に厳しい環境に居続けるとどの様な気持ちや感情を蓄積し続けるでしょうか?
尊厳を傷つけられます。
怒りの感情です。
それも爆発する怒り。
憤怒。
今を生きる現代人は、誰もが皆んな、1人ひとりの胸の内の奥深くには憤怒があります。爆発したら周りの異物を全て平らにしてしまいそうなくらいの怒りの感情が溢れ出す事でしょう。
それが胸の内に閉ざされています。
一点に凝縮しています。
あなたにも、憤怒があります。
隠された憤怒を抱えたまま、あなたは人間の弱さ、自己否定の認識処理、そして自分の弱さにどの様に向き合っていますか?
放置しておくと、
どうなるでしょうか?
子供は敏感です。
子供は気付きます。
子供に伝わります。
子供でなくとも、職場や友人知人の場などでにじみ出てきます。表に現れてくるものです。
健全健康な憤怒との付き合い方、そして健全健康な憤怒の生かし方をしたいと思いませんか?
自分の弱さを克服
人間が弱い存在なのでしたら、人間であるAさんも、人間であるBさんも、そして本記事を読んでいる人間であるあなたも、弱い存在です。その弱さとどの様に向き合っていけば良いのでしょうか?
弱さを普通に。普通を強さに。弱さを強さに
弱い存在のままですと、
弱肉強食の時空間では生きれません。
弱いお魚は、
弱肉強食の海では生きていけない様に。
生きていく為には、弱肉強食の環境下では強くあらねばなりません。弱くとも責めて普通の状態に成長すること、そして出来れば普通の状態に留まらず強さに変化したいと多くの方は思うかも知れません。
弱さを強さに変えて、
逞しく生きる。
或いは、弱さが強さに成り代わる事は無理だろうと最初から諦めている方も多いかも知れませんが。
ですが、
弱さを強さに変えようとも、諦めて弱さのままで居ろうとしましても、その考え方はどちらもうまく行きません。
弱さは結果。強さも結果。原因で勝負
弱さを強さに変えようとする。
弱さのままで居ようとする。
一見すると、至極当然の様に思えますが、これは全くうまく行きません。うまく行ったかの様に思えても、違う問題として目の前に現れてきて結局はどこまで行っても自分の弱さを確認してしまう様になります。
どんなに強さを手に入れたとしても、結論は自分の弱さを確認する様になります。少し考えれば分かる事ですが、何故か、その様な思考は働きにくいものです。
弱さは、結果です。
私たちが確認する弱さは、結果として現れてくる弱さです。弱さは結果ですので結果に相当する原因があります。あなたが結果としての弱さを認識するまでに、原因としての弱さがどこかに隠れています。
原因として、弱くなっていく働きがあなたに起きているので、結果として弱さを確認する様になっています。
弱さは結果です。
弱くなる様に既に機能している原因が存在しているまま、弱さから普通であろうとして、普通から強さであろうとする考え方は、弱くなる様になっている原因に対しては無力です。
原因は、弱さであろうとするのに、
結果の弱さを普通にしたい、
結果の弱さを強さにしたい、
と思ってみても、一瞬間は普通や強さを確認するかも知れませんが原因は弱さを確認する様に働いていきますので、結果として弱さを認識する様になります。
特に現代社会、そしてこの日本では、弱肉強食を確認する環境でもありますし、弱者に厳しい環境でもありますから、弱い自分である事を確認しやすいのではないでしょうか?
弱さが結果であれば、
強さも結果です。
結果で勝負するよりも、
原因で勝負したいと思いませんか?
原因を自分に置く
原因があって、
結果がある。
因果関係の事を理解しておりますと、誰もが皆んな、原因に勝負したいと思うものです。ただ、原因の置き所について考える事は少ないのではないでしょうか?
普通は、原因を自分以外に置きやすいものです。
既に書きました通り、人間が弱い存在である事を確認しやすい環境であり人間を弱い存在にさせてしまう環境として、資本主義社会の競争原理の働きがあったり、日本社会の弱者に厳しい文化があったりします。
だから、弱さの原因を資本主義社会の競争原理に置いてみたり、弱者に厳しい日本社会の文化に置いてみたりします。
自分以外に原因を置く事は、
とても簡単な事です。
そして、楽な事です。
しかし、自分以外に原因を置いてしまいますと、自分から始まる原因では無い為に、自分から再現性を持って積極的に変化させる事が出来ません。
原因は、自分に置いた方が、
遥かに楽で簡単な事です。
質問を投げる
テーマ「自分の弱さ」について書き綴ってきました。あなたが自分の弱さを確認する機会は沢山あったであろうと思います。
子供を取り巻く環境として資本主義社会の競争原理が働き、弱者に厳しい日本文化が働きます。子供は、そんな社会の影響を受けて虐めや虐待が起こりますし、無視や仲間外れが起こりますし、ウツや自殺なども起こります。子供を育てる親は、子供の背景を詳しく知らない事が多いです。背景まで触れる機会は多くありません。
それでも、育児子育ての場面ではあなたは良き父親であろうとする事でしょう。多感な子供、変化し続ける子供、目まぐるしく感情が変化する子供を前にして、あなたは良き父親として接しようとする中で、不安な事や怖くなる事が少なくなかった事でしょう。
自分の弱さを確認する事が多かったろうと思います。とは言え、その弱さの原因を自分以外に置いていては自分から始まる変化や自分の人生を謳歌する事は出来そうもありません。
原因を自分に置く事。
その上でまずあなたが取り組む事は自分自身に質問を投げてみて下さい。次の様な質問が良かろうかと思いますので参考にしてみて下さい。
自分にも、
身近な方にも、
質問を投げてみて下さい。
- 自分とは何か?
- 人間とは何か?
- 弱さとは何か?
- 存在とは何か?
- なぜ、弱さを確認するのか?
- 自分自身と繋がっている弱さの原因とは?
書き出してみると、
ご自身で確認しやすいですね。
試されてみて下さい。
読んで頂いてありがとうございました。
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