小さい頃から生きる答えを知ろうとして、小さいなりに一生懸命に取り組んでいた事は周りを見て真似をする事でした。その中でも特に憧れた人物になろうとして真似をしようとしていました。
私、島崎が最初に憧れた人物は、
漫画「キン肉マン」に出てくる主人公キン肉マンであり、実在する人物というよりは創作キャラです。創作キャラとは言え、小さい頃の島崎が憧れるには十分な人間力と人間関係力がそこに描かれていました。
キン肉マンはプロレスの様な闘いの物語として描かれていまして、強敵と闘う時に窮地に陥ると発動する「火事場のクソ力」や「友情パワー」がありますが、その時のキン肉マンがとてもカッコ良くて、あんな風になりたくて真似をしようとします。
キン肉マンの様に生きようと決めてからというもの、小学生、中学生になるに連れて潜在的にキン肉マンの真似をしようとします。
中学生の時、クラスに虐められている人がいました。男の子の虐めですから暴力が振るわれている虐めです。その彼を助けに行くと今度は私自身に暴力が振るわれます。キン肉マンは、窮地に陥る時に「火事場のクソ力」が発動しますが、私には「火事場のクソ力」が発動しませんでした。奇跡の逆転ファイターにはなりません。
私からすると、問題児は私ではなく、どう見ても私は正義だと思っていました。殴られたり蹴られたりすると、痛くて泣いてばかりでした。私は、暴力に対してそれを振り払える程の力もありませんし勇気もありませんでした。
私は、キン肉マンではありません。
キン肉マンが窮地に陥るとテリーマンが助けに来てくれたり、多くの人がキン肉マンを応援してくれるのですが、私にはその様な事は起こりませんでした。
私は、三国志の劉備玄徳にも憧れていたので、彼の様になりたいと生きるモデル、生きる答えとして定め、彼の真似をしていましたが、虐められている最中に流す涙は劉備玄徳の様に民の為に泣いてあげたり、漢王室の為に泣いてあげる事は無くて、自分が悔しいから泣きますし、自分が格好悪いから泣きますし、自分が恥ずかしいから泣きます。
私が流す涙は自分の為の涙であり、
劉備玄徳のそれとは全く違います。
私は、劉備玄徳ではありません。
虐められている現実も、格好悪くて恥ずかしい自分も、変わる事はありませんでした。
やがて、キン肉マンや劉備玄徳を初めとして、様々な主人公や中心人物たちや英雄など人間には生きる答えは無いのだと思う様になり真似する事を止めました。
次に見つけた生きる答えが数学や物理など、法則や原理に迫る方程式を扱う学問でした。
いつもお読みいただき有り難うございます。良かったら別の記事も目を通して下さい。
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