推奨される「取りあえずやってみよう」
深く考えずに取りあえずやってみる事を推奨する傾向が人間にはあります。私も多くの場面で聞いてきました。
・世界一周をしてきた人
・バックパッカーをした事がある人
・思いつきで起業した人
・精神世界に精通している人
・武道の達人
などなど他にも様々なジャンルがあろうかと思いますが、成功を収めた方や一定の成果を収められた方などがよく仰る世界です。
「人間なんだから、取りあえずやってみよう」
「やってみてから、考えたら良いんだよ」
あなたも一度は聞いた事があるのではないでしょうか?
考えている暇があったら、即行動してみる事を説きます。気付く事や感じる事など得るモノの価値が高く、考えている時間の間にも、実践行動によって多くを得た気がします。
そして、確かにそれはそうです。
人間は、行動しなければ成果を挙げる事は出来ません。何かをやってみない事には、一定の成果を挙げる事が出来ません。行動を抑制する考えであったり、考えてばかりで何もしないというのであれば、考えている意味は無いのでしょうし、とても勿体無い事をしているのでしょう。
ところが、それだけで良いのでしょうか?
それこそが、大事なのでしょうか?
それは本当に人間が生きる姿として理想の生き方なのでしょうか?人間が生きる姿として推奨される生き方なのでしょうか?
あなたと一緒に考えてみたいと思います。
人間として生きるとはどういう事なのか?
人間とは一体、何でしょうか?
考えとは一体、何でしょうか?
どうして、人間には考えがあって、考えはどこから生まれて、どこへ向かい、そして考えは何に活用するものなのでしょうか?
私は、こうした質問を色んな方に投げかけてきましたが、質問に答える人はほとんどいませんでした。「取りあえずやってみよう」と推奨する方々にも聞いてみた事がありますが、納得する答えを聞かせてもらえた事がありません。
ここで不思議な事があります。
人間を一体何であると理解しているからこそ、「人間なんだから、取りあえずやってみよう」と仰るのかがどうにも理解できませんでした。人間が何であるかを教えてくれないまま、「人間なんだから」と仰る事に素直に頷く事が出来ません。
同じ様に、考えを一体何であると理解しているから、「やってみてから、考えたら良いんだよ」と仰るのかが繋がりません。考えがどういうものなのかを言ってくれたのでしたら、やってみてから考える事の意味や価値が理解できますし納得できます。やってみようと思えます。
人間とは何でしょうか?
考えとは何でしょうか?
この問いに対する答えを聞かせてもらえないまま、「取りあえずやってみよう」と推奨するには、余程の自信をお持ちなのでしょうけれども、その方自身が成功し、一定の成果を収める事は出来るかもしれませんが、人間は色んな人がいますから、別の人に当てはまる根拠がありませんし、道理がありません。
ところが、よく推奨される「取りあえずやってみよう」という言葉や為される行為。確かに、その事によって得られる事も多くあるのでしょうが、疑問が残ります。
人間であれば推奨されるものでしょうか?
人間の理想の生き方でしょうか?
人生、それでうまく行くのでしょうか?
私は、「取りあえずやってみよう」と推奨される方には少なくとも、上記の質問に答えて頂きたいと思いますし、その様に仰る根拠を客観的に聞いてみたいと思います。
それが生きる道ならば、その道を理解して実践したいと思うからです。また、多くの人にもそうであってもらいたいと願うからです。素晴らしい人間力の持ち主であり卓越した人間関係力であるからです。
人間と動物の違いにヒントを得る
ある人は、人間は考える存在だと言いました。人間以外の存在を思いますと、動物や植物には考えはありません。人間と動物を比較しながら、一つ考えてみたい事があります。
動物は、考えません。
上記の様な質問を投げかけたり、上記の質問の答えを探そうとはしません。動物は、自分がその日に食べるものを探す事に集中し、その為に体を動かします。
考える事をせずに、食べ物を探します。
人間と比較しますと、動物は様々な機能を体に宿していると見てとる事が出来ます。キリンはキリンらしい機能を体に宿していますし、ゾウはゾウらしい機能を体に宿していますし、トラや、クマや、狼などは、やはり彼ららしい機能を体に宿しています。
鳥やヘビやカエルや魚も同様です。
体に宿した機能を人間のそれと比較しますと、それには及ばない事の方が多く見受けられます。分かりやすい例で言いますと、トラと人間が出くわすと、トラの機能の方が人間の身体機能を上回りますので、人間はトラに食べられてしまいます。
人間が海中にいる時には、魚という存在にも身体的機能が及ばないので、海中にいる時に魚と闘うと負けてしまいます。
人間は、動物の機能と比べまして実に非力な存在であるかに見えます。ところが、長い歴史を振り返りまして人類文明歴史に想いを巡らせてみますと、多くの動物を動物園に入れる事に成功しています。
非力な人間が、です。
生まれた瞬間を見ましても、人間は一人では何も出来ない未熟の状態で生まれていますから、他の動物に簡単に食べられてしまい生存競争には勝てません。自然環境にすら負けてしまいます。
生まれた瞬間でなくとも、大人になったからといって機能性豊かな動物たちや、嵐に雷に津波に火災に砂漠など厳しい自然環境を前にしても負けてしまいます。
ところが、人類の歴史文明と共に時代を下りますと、その様な自然環境に勝利し、動物に勝利し、非力で無力であった人間が、いつの間にか地球上を謳歌するようになり、しかも動物の全ての能力を抽出して、道具という形にして活用するにまで至っています。動物を動物園に入れながら、動物の機能を道具の形へと変えて、道具を使う事で動物さえも出来なかった速いスピードで移動する事や大気圏の外へと飛び出す事に成功しています。
人間は、動物と違って考えます。
考える事なしに食べ物だけを探すという行動だけをしていたのでは、動物の機能には到底太刀打ちできませんし、仮に太刀打ち出来たとしても子供や孫が太刀打ちできるとは限りませんし、仮に子供や孫が太刀打ちできたとして、農業へと発展させる子孫にはなっていません。
考えなしに、食べ物を探す。
考えなしに、行動する。
それは、動物の次元です。
動物と同じ次元で、行動する。
そこからは、文明や歴史として発展する人間の道は開かれない事を、動物や自然との闘いから観てとる事が出来るのではないでしょうか?
動物と同じ次元では、人間の非力さ生きていれば淘汰されますし、自然環境の厳しさからも淘汰されてしまいます。
ところが実際は違います。
人間は、淘汰されるどころか地球上で文明を謳歌する生活を送っています。それは、動物とは同じ次元での行動をしてはいないからではないでしょうか?動物との鮮明な違いについて、やはり理解しておいた方が良さそうな気がします。考えについて、鮮明に理解しておいて方が良さそうな気がします。
投げ掛けたい質問、受け取りたい質問、聞いてみたい答え、差し上げたい答え
推奨行為「取りあえずやってみよう」について触れてきました。人間の人間らしい状態から発信する時に素晴らしい一言になるのだろうと思います。人間力、人間関係力に溢れ、実践行動力に光るものがあり、あらゆる現実力を手にして見せる事でしょう。まさに、人間の憧れのモデルと言えます。
その姿を見たいと思いませんか?
私は見たいと思っています。
だからこそ聞いてみたい質問があります。
人間とは一体、何でしょうか?
考えとは一体、何でしょうか?
どうして、人間には考えがあって、考えはどこから生まれて、どこへ向かい、そして考えは何に活用するものなのでしょうか?
動物として生きる人間ではなく、動物とは一線を画した人間らしい人間の生き方として、こうした質問に明確に答えた上での行動がとても大事なのだろうと思います。
上記の様な質問に答える人は、あなたの傍に置いておくべき存在です。そして、その様な人たちに囲まれた生き方は、あなた自身がとても幸せで豊かな人生になり、やがてはあなた自身も優れた人間力と人間関係力を身に付ける様になります。
どの様な状態の人が推奨しているのか?
「取りあえずやってみよう」
これからも引き続き注目したい言葉です。
いつも読んで下さって有り難うございます。
宜しければ別の記事も読んでいって下さい。
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