もしあなたが、小さい頃にいじめられた経験があるのでしたら、あなたをいじめてくる存在に対してどの様な対応を取りましたでしょうか?
真っ向から刃向いましたか?
ただただ従いましたか?
2018年6月29日金曜日
2018年6月28日木曜日
自分と自分の宇宙が消える認識経験を得てから
生きる答えを知りたくて、憧れる人の真似をしてみたり、物理や数学などの方程式に依存してみたり、成功を収めている人や幸せを感じている人たちに出会いに行くなどを続けてきました。
その度に、一喜一憂する気持ちがある反面、結局答えは分からなかったという絶望感でした。
どの様に生きれば良いのかが分からないと、何をどうすれば良いのか分からないのに意思決定をしなければならなかったり判断をしなければならなかったりしますが、それがとても格好悪くて、惨めで、辛かったです。
その想いだけが蓄積されました。
ところが、Noh Jesu氏との出会いを通して自分と自分の宇宙が目を開けたまま消える認識経験を得てからというもの、本当の自分と出会い、生きる答えを得た事を通して、自分の事は一切悩まなくなりました。
自分ひとりの問題だったのではなく、人間だったら誰もが持っている脳の問題だったからです。人間の五感覚脳の認識に観点を固定している問題によって、生きる答えも分からない様になっていますし、体だけが自分だという誤った思い込みをしている事にも気付きますし、それが人間であれば誰もが皆んな共通にして働いている仕組みである事を理解するからです。
思い込みの自分。
錯覚の自分。
その状態で、幾ら経験を積み重ねても、答えを知ろうと努力しても、経験が生きる事も無ければ答えに出会う訳もありません。
その事がよく分かりました。
そして、本当の自分で生きる状態は、自分の事を悩まなくなります。自分の事を悩まずに生きるので、身近な人間関係が変わります。
やがては、身近な人も。
自分の事を悩まなくなります。
自分の事を悩まない人たちで築く協力関係は、それまでのどんな協力関係よりも水準が違います。団結が半端ないです。
自分と自分の宇宙が消える認識経験を得てからというもの、文字通り人生がガラッと変わりました。それは、世の中で良く聞く「人生が変わった」というのとは全く次元の違うものでした。
いつも読んで下さってありがとうございます。良かったら別の記事もお読みください。
その度に、一喜一憂する気持ちがある反面、結局答えは分からなかったという絶望感でした。
どの様に生きれば良いのかが分からないと、何をどうすれば良いのか分からないのに意思決定をしなければならなかったり判断をしなければならなかったりしますが、それがとても格好悪くて、惨めで、辛かったです。
その想いだけが蓄積されました。
ところが、Noh Jesu氏との出会いを通して自分と自分の宇宙が目を開けたまま消える認識経験を得てからというもの、本当の自分と出会い、生きる答えを得た事を通して、自分の事は一切悩まなくなりました。
自分ひとりの問題だったのではなく、人間だったら誰もが持っている脳の問題だったからです。人間の五感覚脳の認識に観点を固定している問題によって、生きる答えも分からない様になっていますし、体だけが自分だという誤った思い込みをしている事にも気付きますし、それが人間であれば誰もが皆んな共通にして働いている仕組みである事を理解するからです。
思い込みの自分。
錯覚の自分。
その状態で、幾ら経験を積み重ねても、答えを知ろうと努力しても、経験が生きる事も無ければ答えに出会う訳もありません。
その事がよく分かりました。
そして、本当の自分で生きる状態は、自分の事を悩まなくなります。自分の事を悩まずに生きるので、身近な人間関係が変わります。
やがては、身近な人も。
自分の事を悩まなくなります。
自分の事を悩まない人たちで築く協力関係は、それまでのどんな協力関係よりも水準が違います。団結が半端ないです。
自分と自分の宇宙が消える認識経験を得てからというもの、文字通り人生がガラッと変わりました。それは、世の中で良く聞く「人生が変わった」というのとは全く次元の違うものでした。
いつも読んで下さってありがとうございます。良かったら別の記事もお読みください。
2018年6月27日水曜日
この体だけが自分だと思ったら説明が付かない事が多くないですか?
独特な認識経験を得る前後の話です。生きる答えを知りたい反面、誰も教えてくれる事の無い出会いが続きましたが、他のどんな人からも受けた事の無い衝撃的な質問をキッカケに、遂に生きる答えに出会いました。
「この体だけが自分だと思ったら、説明が付かない事が多いんじゃないですか?」
前半部はキョトンとしたものです。
後半部は強く納得しました。
確かに、説明が付かない事が多すぎました。私は、その質問を投げてきた彼は何か知っているかも知れないと思い、彼の語るnTechを学びました。
nTechの神髄は宿泊型の講座で得られます。
私は、韓国までそれを学びに出かけます。
今まで聞いた事が無い話が沢山飛び交いましたが、今まで聞いてきた話も含めて一つひとつが繋がりだします。とてもとても魅力的な講座でした。毎日ワクワクが止まりません。受講仲間との交流やディスカッションも、講座の理解に大きな役割を担っている様で、何から何まで楽しくて仕方が有りませんでした。
ある時、独特な認識経験を得ました。
自分と自分の宇宙が目を開けたまま、キレイに消えてしまったのです。その瞬間はとても衝撃的でした。呼吸が止まり、時間が止まるほどの。
その直後に本当の自分に出会いました。
本当の自分は、どこまでもどこまでも広がっていて無限の可能性そのもので、心はとても静かで安心で平和で、躍動感に溢れていてバイタリティそのものでした。
本当の自分は凄すぎました。
そんな本当の自分から、この体の自分と、その自分が見ている宇宙をどの様に生み出したのか、論理とイメージで再現し明確に理解する事が出来ました。
今まで、この体だけが自分だと思っていた時には、悩みは尽きる事がなく苦しい事が立て続けに起こり、楽しい事や喜ばしい事が起きても一喜一憂の後に直ぐにまた惨めで恥ずかしくてカッコ悪い自分を確認するだけでした。
その自分と自分の宇宙が消えた認識経験です。本当の自分との出会いを果たしました。
私は、自分の事を悩まなくなりました。
この体の自分を悩みません。
本当の自分と出会い、全てを理解した私は、一体どうして今まで生きる答えが分からなかったのかが明確に理解出来ました。
観点が固定されていたからです。
人間の脳の認識に固定されています。
人間の脳の認識には、全体を認識できない様に設計されており、まさに認識が疾患されている状態でした。
人間の五感覚脳の認識に観点を固定している事で、本当の自分とも出会えませんし、認識疾患による無明無知と四苦八苦が生まれる様になっています。勿論、自分と自分の宇宙が生まれる仕組みも認識出来ない様になっています。
私がnTech開発者のNoh Jesu氏の講座を通して得た独特な認識経験は、誰もが皆んな得る事が出来る認識経験です。技術ですので、誰でも、いつでも、何度でも、再現が可能です。
すると次に見えてくる世界があります。
自分の事を悩まない状態で生きること。それは、本当の自分を知り、本当の人間を知り、本当の日本が見えてきます。とても美しくて素晴らしすぎるものです。
本当の私で生きる事は心がスッキリで、∞の可能性そのもので、無境界線イメージで全てと接しますから、観点の障壁に心を迷わす事がなく好意好感をもって接します。
それは日本の深遠な世界。
和心そのものです。
自分の事を悩まない人間が、和心そのもので人と出会う時、周りの人間たちもまた、自分の事を悩まなくなり、和心の人間として変化させていきます。
自分の事を悩まない和心そのものの人間1人から始まって、2人、5人と増えて五人組になります。自分の事を悩まない人たちの協力関係を想像してみて下さい。今までにない団結力があると思いませんか?
宇宙自然の法則に沿って理解する時、
その五人組が新たな精神細胞一つを誕生させたと見て取りますと、あとは精神細胞に複製が起こり、細胞は指数関数的に広がります。
その全ての精神細胞は、自分の事を悩みませんし和心ですから、どの様な組み合わせであっても協力団結する集団になります。
ある一定数を超えると、
それは完全集団となります。
その仕事を日本が果たします。
本当の自分を知り、本当の人間が理解できると、日本の良さが見えてきます。日本の底力が見えてきます。日本の使命が見えてきます。
人間の一番素晴らしい機能を今まで使っていなかった人類。その中でも唯一、明確な理解は無かったかも知れませんが、この素晴らしい機能を使っていたのが日本です。
明確な理解が入った状態で、
無理やり我慢しながらの協力関係ではなく、和心と積極的な使命感の元で楽しく和気あいあいとチームプレイする日本へと変化していきます。
ワクワクしませんか?
日本の素晴らしさには是非、
皆さんにも出会って頂きたいです。
私は、自分が何者か知りたくて仕方がありませんでした。そして私は、生きる答えを知り、どの様に生きれば良いのか生き方を知りたくて仕方がありませんでした。
独特な認識経験なくして、
それは在り得ませんでした。
人間共通の観点の問題と出会い、nTechによって自分と自分の宇宙が消えて本当の自分に出会う事がなくては起こり得ようがない世界でした。
本ブログを書きつづる様になっているキッカケでもあります。天命を知り使命を果たす生き方をしたいのであれば、その出会いをしない様に邪魔をしている仕組みを理解する事から始まります。
ご興味のある方は是非、
ご連絡下さい。
「この体だけが自分だと思ったら、説明が付かない事が多いんじゃないですか?」
前半部はキョトンとしたものです。
後半部は強く納得しました。
確かに、説明が付かない事が多すぎました。私は、その質問を投げてきた彼は何か知っているかも知れないと思い、彼の語るnTechを学びました。
nTechの神髄は宿泊型の講座で得られます。
私は、韓国までそれを学びに出かけます。
今まで聞いた事が無い話が沢山飛び交いましたが、今まで聞いてきた話も含めて一つひとつが繋がりだします。とてもとても魅力的な講座でした。毎日ワクワクが止まりません。受講仲間との交流やディスカッションも、講座の理解に大きな役割を担っている様で、何から何まで楽しくて仕方が有りませんでした。
ある時、独特な認識経験を得ました。
自分と自分の宇宙が目を開けたまま、キレイに消えてしまったのです。その瞬間はとても衝撃的でした。呼吸が止まり、時間が止まるほどの。
その直後に本当の自分に出会いました。
本当の自分は、どこまでもどこまでも広がっていて無限の可能性そのもので、心はとても静かで安心で平和で、躍動感に溢れていてバイタリティそのものでした。
本当の自分は凄すぎました。
そんな本当の自分から、この体の自分と、その自分が見ている宇宙をどの様に生み出したのか、論理とイメージで再現し明確に理解する事が出来ました。
今まで、この体だけが自分だと思っていた時には、悩みは尽きる事がなく苦しい事が立て続けに起こり、楽しい事や喜ばしい事が起きても一喜一憂の後に直ぐにまた惨めで恥ずかしくてカッコ悪い自分を確認するだけでした。
その自分と自分の宇宙が消えた認識経験です。本当の自分との出会いを果たしました。
私は、自分の事を悩まなくなりました。
この体の自分を悩みません。
本当の自分と出会い、全てを理解した私は、一体どうして今まで生きる答えが分からなかったのかが明確に理解出来ました。
観点が固定されていたからです。
人間の脳の認識に固定されています。
人間の脳の認識には、全体を認識できない様に設計されており、まさに認識が疾患されている状態でした。
人間の五感覚脳の認識に観点を固定している事で、本当の自分とも出会えませんし、認識疾患による無明無知と四苦八苦が生まれる様になっています。勿論、自分と自分の宇宙が生まれる仕組みも認識出来ない様になっています。
私がnTech開発者のNoh Jesu氏の講座を通して得た独特な認識経験は、誰もが皆んな得る事が出来る認識経験です。技術ですので、誰でも、いつでも、何度でも、再現が可能です。
すると次に見えてくる世界があります。
自分の事を悩まない状態で生きること。それは、本当の自分を知り、本当の人間を知り、本当の日本が見えてきます。とても美しくて素晴らしすぎるものです。
本当の私で生きる事は心がスッキリで、∞の可能性そのもので、無境界線イメージで全てと接しますから、観点の障壁に心を迷わす事がなく好意好感をもって接します。
それは日本の深遠な世界。
和心そのものです。
自分の事を悩まない人間が、和心そのもので人と出会う時、周りの人間たちもまた、自分の事を悩まなくなり、和心の人間として変化させていきます。
自分の事を悩まない和心そのものの人間1人から始まって、2人、5人と増えて五人組になります。自分の事を悩まない人たちの協力関係を想像してみて下さい。今までにない団結力があると思いませんか?
宇宙自然の法則に沿って理解する時、
その五人組が新たな精神細胞一つを誕生させたと見て取りますと、あとは精神細胞に複製が起こり、細胞は指数関数的に広がります。
その全ての精神細胞は、自分の事を悩みませんし和心ですから、どの様な組み合わせであっても協力団結する集団になります。
ある一定数を超えると、
それは完全集団となります。
その仕事を日本が果たします。
本当の自分を知り、本当の人間が理解できると、日本の良さが見えてきます。日本の底力が見えてきます。日本の使命が見えてきます。
人間の一番素晴らしい機能を今まで使っていなかった人類。その中でも唯一、明確な理解は無かったかも知れませんが、この素晴らしい機能を使っていたのが日本です。
明確な理解が入った状態で、
無理やり我慢しながらの協力関係ではなく、和心と積極的な使命感の元で楽しく和気あいあいとチームプレイする日本へと変化していきます。
ワクワクしませんか?
日本の素晴らしさには是非、
皆さんにも出会って頂きたいです。
私は、自分が何者か知りたくて仕方がありませんでした。そして私は、生きる答えを知り、どの様に生きれば良いのか生き方を知りたくて仕方がありませんでした。
独特な認識経験なくして、
それは在り得ませんでした。
人間共通の観点の問題と出会い、nTechによって自分と自分の宇宙が消えて本当の自分に出会う事がなくては起こり得ようがない世界でした。
本ブログを書きつづる様になっているキッカケでもあります。天命を知り使命を果たす生き方をしたいのであれば、その出会いをしない様に邪魔をしている仕組みを理解する事から始まります。
ご興味のある方は是非、
ご連絡下さい。
2018年6月25日月曜日
生きる答えなど無い。諦めと諦めきれない最中に
生きていると色々あります。身の回りに起こる色々な事一つひとつにどの様に応じていますか?その場その場で最高の一手を放つ事が出来れば良いのですが、自分では最高の一手を放ったつもりでも、振り返ってみるとより良い一手を放てた事に気付く事があります。
生きる答えを知っている状態で生きる事は、いつもスッキリでワクワクして生きている状態です。心が元気で、体までも健康な生き方でありたいものです。
小さい頃から生きる答えを探していた私は、主人公や歴史の中心人物に憧れを抱いてきましたが、真似をしてもその様な生き方をする事が出来なかったので自分を含む人間不信になりました。人間には生きる答えが無いと思い、物理や数学の方程式に答えを見出す様になりました。
最初は良かった方程式の世界も、理不尽で不条理な現象が目の前にやってくる事を説明する事が出来ませんでしたし、その時に溢れ出す不毛な考えや暴走する感情をコントロールする事も出来ませんでした。
益々、心は不健康になります。
そんな中でも社会人として生きなければならない時が近づいてきますと社会性を回復し社会人として生きる上で必要な感性を身に付けようとして、人間不信でありながらも色んな人に出会いに行くようになりました。
ネットワークビジネスや投資などでお金を稼いでいる人であったり、宗教やスピリチュアルなどで信じる事で意識や無意識を変化させようとしている人であったり、呼吸法や瞑想に取り組む人たち、それから「ありがとう」「ついてる」「楽しい」など言葉を連呼する人たちにも会いに行きました。
家に直接かかってくる電話にも応じていました。宝石の販売や絵の販売や英会話スクールの勧誘など、あらゆるお誘いや勧誘に応じ、出向いていました。
ステキな考え方の持ち主であったり、努力家の人であったり、キレイな感情を育てている人であったり、営業トークが上手で人間的に魅力を感じる人であったり、チームワークや協力関係を築いている人たちなど、人格が良くて、人間性を感じさせる人に沢山会いました。
森林の汚染や海の汚染に関心を持ち活動している方もいれば、人権に取り組んでいる人や、社会の女性参画に熱心な人たちや、士業さんたちで支えあっている人たち、ビジネス仲間を育んでいる人たち、ボランティアやNPO、NGOの人たち、色んな慈善活動に身を投じている人たちとの出会いがありました。
それこそ色んな方々に出会います。
私の関心は生きる答えを知る事ですから、出会うたびに生きる答えを知っているかどうかを確かめようと様々な質問を繰り出します。
親身に答えてくれる人もいますが、大半の人は私が放つ質問に嫌悪感を抱く人でした。親身に答えてくれる人の大半も、答えを答えてくれませんでしたし、そのそも答えを教えてくれませんでした。
誰に会っても、何をしている人に会っても、答えを教えてくれる人はいませんでした。
人間味が溢れていても、
モノに溢れていても、
お金を稼いでいても、
情報通であっても、
人脈が凄くても、
名誉がある人でも、
権力を持つ人でも、
色んな人たちに尋ねてみても、生きる答えは一人ひとり全部違うものであり、答えに思えるものでも賞味期限がありそうな期限付き、条件付きのものでした。
生きる答えなんて無いと言い張る人までいました。
その場ではそうだと思えたものも、深く納得したり、しっくりくる事はありませんでした。
生きる答えは無いのだろうか?
答えを探すのは不毛なのか?
それよりも意味や価値がある事があるのだろうか?それならば、意味価値の先は答えなのだろうか?するとやはり答えは存在するのか?それならば、人それぞれ皆んなバラバラの答えは何を意味しているのか?皆んなが違う答えならば、社会として成り立ち誰もが皆んな幸せで豊かにいられる事は不可能なのではないか?それならば、やはり答えは無いのだろうか?
質問と答えが進化している気もしますが、少しも進まずに停滞している気もするかの様な、堂々巡りの歩み。
ずっとこのまま、答えが見つからず、それでも生きなければならないのだろうか?答えを知らない状態で、それでも選択を迫られる人生なのだろうか?訳が分からない状態なのに、自分の好き嫌いを選択し、自分が幸せだけど、誰かは幸せでなく、誰かが幸せなら自分が幸せでない事が人生なのだろうか?
そうしている内にも、
明日が来ると会社に行き、
仕事では意思決定をして、
休みの日には彼女や友人と、
生きる答えを知らずに実は何をして良いのか分からないけど何かをしなければならない人生。
そんな折。
ふとしたキッカケで出会った一人の外国人が言った一言が入ってきました。キョトンとした私と深く納得した私がいました。この一言は、私の人生を大反転させる衝撃の質問となっていました。
他のどんな人からも、
受けた事の無い質問です。
あなたは、見付けましたか?
多くの人に質問してみて下さい。
生きる答えとは一体、何でしょうか?
どの様に生きれば良いのでしょうか?
生きる答えを知っている状態で生きる事は、いつもスッキリでワクワクして生きている状態です。心が元気で、体までも健康な生き方でありたいものです。
小さい頃から生きる答えを探していた私は、主人公や歴史の中心人物に憧れを抱いてきましたが、真似をしてもその様な生き方をする事が出来なかったので自分を含む人間不信になりました。人間には生きる答えが無いと思い、物理や数学の方程式に答えを見出す様になりました。
最初は良かった方程式の世界も、理不尽で不条理な現象が目の前にやってくる事を説明する事が出来ませんでしたし、その時に溢れ出す不毛な考えや暴走する感情をコントロールする事も出来ませんでした。
益々、心は不健康になります。
そんな中でも社会人として生きなければならない時が近づいてきますと社会性を回復し社会人として生きる上で必要な感性を身に付けようとして、人間不信でありながらも色んな人に出会いに行くようになりました。
ネットワークビジネスや投資などでお金を稼いでいる人であったり、宗教やスピリチュアルなどで信じる事で意識や無意識を変化させようとしている人であったり、呼吸法や瞑想に取り組む人たち、それから「ありがとう」「ついてる」「楽しい」など言葉を連呼する人たちにも会いに行きました。
家に直接かかってくる電話にも応じていました。宝石の販売や絵の販売や英会話スクールの勧誘など、あらゆるお誘いや勧誘に応じ、出向いていました。
ステキな考え方の持ち主であったり、努力家の人であったり、キレイな感情を育てている人であったり、営業トークが上手で人間的に魅力を感じる人であったり、チームワークや協力関係を築いている人たちなど、人格が良くて、人間性を感じさせる人に沢山会いました。
森林の汚染や海の汚染に関心を持ち活動している方もいれば、人権に取り組んでいる人や、社会の女性参画に熱心な人たちや、士業さんたちで支えあっている人たち、ビジネス仲間を育んでいる人たち、ボランティアやNPO、NGOの人たち、色んな慈善活動に身を投じている人たちとの出会いがありました。
それこそ色んな方々に出会います。
私の関心は生きる答えを知る事ですから、出会うたびに生きる答えを知っているかどうかを確かめようと様々な質問を繰り出します。
親身に答えてくれる人もいますが、大半の人は私が放つ質問に嫌悪感を抱く人でした。親身に答えてくれる人の大半も、答えを答えてくれませんでしたし、そのそも答えを教えてくれませんでした。
誰に会っても、何をしている人に会っても、答えを教えてくれる人はいませんでした。
人間味が溢れていても、
モノに溢れていても、
お金を稼いでいても、
情報通であっても、
人脈が凄くても、
名誉がある人でも、
権力を持つ人でも、
色んな人たちに尋ねてみても、生きる答えは一人ひとり全部違うものであり、答えに思えるものでも賞味期限がありそうな期限付き、条件付きのものでした。
生きる答えなんて無いと言い張る人までいました。
その場ではそうだと思えたものも、深く納得したり、しっくりくる事はありませんでした。
生きる答えは無いのだろうか?
答えを探すのは不毛なのか?
それよりも意味や価値がある事があるのだろうか?それならば、意味価値の先は答えなのだろうか?するとやはり答えは存在するのか?それならば、人それぞれ皆んなバラバラの答えは何を意味しているのか?皆んなが違う答えならば、社会として成り立ち誰もが皆んな幸せで豊かにいられる事は不可能なのではないか?それならば、やはり答えは無いのだろうか?
質問と答えが進化している気もしますが、少しも進まずに停滞している気もするかの様な、堂々巡りの歩み。
ずっとこのまま、答えが見つからず、それでも生きなければならないのだろうか?答えを知らない状態で、それでも選択を迫られる人生なのだろうか?訳が分からない状態なのに、自分の好き嫌いを選択し、自分が幸せだけど、誰かは幸せでなく、誰かが幸せなら自分が幸せでない事が人生なのだろうか?
そうしている内にも、
明日が来ると会社に行き、
仕事では意思決定をして、
休みの日には彼女や友人と、
生きる答えを知らずに実は何をして良いのか分からないけど何かをしなければならない人生。
そんな折。
ふとしたキッカケで出会った一人の外国人が言った一言が入ってきました。キョトンとした私と深く納得した私がいました。この一言は、私の人生を大反転させる衝撃の質問となっていました。
他のどんな人からも、
受けた事の無い質問です。
あなたは、見付けましたか?
多くの人に質問してみて下さい。
生きる答えとは一体、何でしょうか?
どの様に生きれば良いのでしょうか?
場所:
日本、福岡県福岡市博多区
物理学や数学など方程式に生きる答えを見出す
物理学や数学などの方程式に魅力を感じている人は少なからずいるかと思います。その魅力を、生きる答えに見出している方も少なからずいる事でしょう。本日の記事は、物理学的な方程式や数学の方程式に生きる答えを見出したものの、答えは見付からなかった経験を書き綴りたいと思います。
本日の記事は、営業の仕事をされている方に特に読んで頂きたい内容です。直接的な繋がりは無いかも知れませんが、何かを感じ取って頂ける様に意識しています。
独特な認識経験を得る瞬間に向かって展開している話です。お付き合い下されば嬉しいです。
本日の記事は、営業の仕事をされている方に特に読んで頂きたい内容です。直接的な繋がりは無いかも知れませんが、何かを感じ取って頂ける様に意識しています。
独特な認識経験を得る瞬間に向かって展開している話です。お付き合い下されば嬉しいです。
場所:
日本、福岡県福岡市博多区
2018年6月24日日曜日
キン肉マンと劉備玄徳に憧れる島崎
小さい頃から生きる答えを知ろうとして、小さいなりに一生懸命に取り組んでいた事は周りを見て真似をする事でした。その中でも特に憧れた人物になろうとして真似をしようとしていました。
私、島崎が最初に憧れた人物は、
私、島崎が最初に憧れた人物は、
場所:
日本、福岡県福岡市博多区
2018年6月23日土曜日
推奨行為「取りあえずやってみよう」について考察
本記事は、人生を誠実に生きる方、人生に真面目である方、天命を知り使命に生きたい方を特に意識して書き綴っている記事です。多くの場面で「取りあえずやってみよう」と聞く機会があると思いますが、あなたの次の一手は何でしょうか?推奨される行為として「取りあえずやってみよう」がありますが、ただやれば良いものなのでしょうか?一緒に考えてみたいと思います。
深く考えずに取りあえずやってみる事を推奨する傾向が人間にはあります。私も多くの場面で聞いてきました。
・世界一周をしてきた人
・バックパッカーをした事がある人
・思いつきで起業した人
・精神世界に精通している人
・武道の達人
などなど他にも様々なジャンルがあろうかと思いますが、成功を収めた方や一定の成果を収められた方などがよく仰る世界です。
「人間なんだから、取りあえずやってみよう」
「やってみてから、考えたら良いんだよ」
あなたも一度は聞いた事があるのではないでしょうか?
考えている暇があったら、即行動してみる事を説きます。気付く事や感じる事など得るモノの価値が高く、考えている時間の間にも、実践行動によって多くを得た気がします。
そして、確かにそれはそうです。
人間は、行動しなければ成果を挙げる事は出来ません。何かをやってみない事には、一定の成果を挙げる事が出来ません。行動を抑制する考えであったり、考えてばかりで何もしないというのであれば、考えている意味は無いのでしょうし、とても勿体無い事をしているのでしょう。
ところが、それだけで良いのでしょうか?
それこそが、大事なのでしょうか?
それは本当に人間が生きる姿として理想の生き方なのでしょうか?人間が生きる姿として推奨される生き方なのでしょうか?
あなたと一緒に考えてみたいと思います。
人間とは一体、何でしょうか?
考えとは一体、何でしょうか?
どうして、人間には考えがあって、考えはどこから生まれて、どこへ向かい、そして考えは何に活用するものなのでしょうか?
私は、こうした質問を色んな方に投げかけてきましたが、質問に答える人はほとんどいませんでした。「取りあえずやってみよう」と推奨する方々にも聞いてみた事がありますが、納得する答えを聞かせてもらえた事がありません。
ここで不思議な事があります。
人間を一体何であると理解しているからこそ、「人間なんだから、取りあえずやってみよう」と仰るのかがどうにも理解できませんでした。人間が何であるかを教えてくれないまま、「人間なんだから」と仰る事に素直に頷く事が出来ません。
同じ様に、考えを一体何であると理解しているから、「やってみてから、考えたら良いんだよ」と仰るのかが繋がりません。考えがどういうものなのかを言ってくれたのでしたら、やってみてから考える事の意味や価値が理解できますし納得できます。やってみようと思えます。
人間とは何でしょうか?
考えとは何でしょうか?
この問いに対する答えを聞かせてもらえないまま、「取りあえずやってみよう」と推奨するには、余程の自信をお持ちなのでしょうけれども、その方自身が成功し、一定の成果を収める事は出来るかもしれませんが、人間は色んな人がいますから、別の人に当てはまる根拠がありませんし、道理がありません。
ところが、よく推奨される「取りあえずやってみよう」という言葉や為される行為。確かに、その事によって得られる事も多くあるのでしょうが、疑問が残ります。
人間であれば推奨されるものでしょうか?
人間の理想の生き方でしょうか?
人生、それでうまく行くのでしょうか?
私は、「取りあえずやってみよう」と推奨される方には少なくとも、上記の質問に答えて頂きたいと思いますし、その様に仰る根拠を客観的に聞いてみたいと思います。
それが生きる道ならば、その道を理解して実践したいと思うからです。また、多くの人にもそうであってもらいたいと願うからです。素晴らしい人間力の持ち主であり卓越した人間関係力であるからです。
ある人は、人間は考える存在だと言いました。人間以外の存在を思いますと、動物や植物には考えはありません。人間と動物を比較しながら、一つ考えてみたい事があります。
動物は、考えません。
上記の様な質問を投げかけたり、上記の質問の答えを探そうとはしません。動物は、自分がその日に食べるものを探す事に集中し、その為に体を動かします。
考える事をせずに、食べ物を探します。
人間と比較しますと、動物は様々な機能を体に宿していると見てとる事が出来ます。キリンはキリンらしい機能を体に宿していますし、ゾウはゾウらしい機能を体に宿していますし、トラや、クマや、狼などは、やはり彼ららしい機能を体に宿しています。
鳥やヘビやカエルや魚も同様です。
体に宿した機能を人間のそれと比較しますと、それには及ばない事の方が多く見受けられます。分かりやすい例で言いますと、トラと人間が出くわすと、トラの機能の方が人間の身体機能を上回りますので、人間はトラに食べられてしまいます。
人間が海中にいる時には、魚という存在にも身体的機能が及ばないので、海中にいる時に魚と闘うと負けてしまいます。
人間は、動物の機能と比べまして実に非力な存在であるかに見えます。ところが、長い歴史を振り返りまして人類文明歴史に想いを巡らせてみますと、多くの動物を動物園に入れる事に成功しています。
非力な人間が、です。
生まれた瞬間を見ましても、人間は一人では何も出来ない未熟の状態で生まれていますから、他の動物に簡単に食べられてしまい生存競争には勝てません。自然環境にすら負けてしまいます。
生まれた瞬間でなくとも、大人になったからといって機能性豊かな動物たちや、嵐に雷に津波に火災に砂漠など厳しい自然環境を前にしても負けてしまいます。
ところが、人類の歴史文明と共に時代を下りますと、その様な自然環境に勝利し、動物に勝利し、非力で無力であった人間が、いつの間にか地球上を謳歌するようになり、しかも動物の全ての能力を抽出して、道具という形にして活用するにまで至っています。動物を動物園に入れながら、動物の機能を道具の形へと変えて、道具を使う事で動物さえも出来なかった速いスピードで移動する事や大気圏の外へと飛び出す事に成功しています。
人間は、動物と違って考えます。
考える事なしに食べ物だけを探すという行動だけをしていたのでは、動物の機能には到底太刀打ちできませんし、仮に太刀打ち出来たとしても子供や孫が太刀打ちできるとは限りませんし、仮に子供や孫が太刀打ちできたとして、農業へと発展させる子孫にはなっていません。
考えなしに、食べ物を探す。
考えなしに、行動する。
それは、動物の次元です。
動物と同じ次元で、行動する。
そこからは、文明や歴史として発展する人間の道は開かれない事を、動物や自然との闘いから観てとる事が出来るのではないでしょうか?
動物と同じ次元では、人間の非力さ生きていれば淘汰されますし、自然環境の厳しさからも淘汰されてしまいます。
ところが実際は違います。
人間は、淘汰されるどころか地球上で文明を謳歌する生活を送っています。それは、動物とは同じ次元での行動をしてはいないからではないでしょうか?動物との鮮明な違いについて、やはり理解しておいた方が良さそうな気がします。考えについて、鮮明に理解しておいて方が良さそうな気がします。
推奨行為「取りあえずやってみよう」について触れてきました。人間の人間らしい状態から発信する時に素晴らしい一言になるのだろうと思います。人間力、人間関係力に溢れ、実践行動力に光るものがあり、あらゆる現実力を手にして見せる事でしょう。まさに、人間の憧れのモデルと言えます。
その姿を見たいと思いませんか?
私は見たいと思っています。
だからこそ聞いてみたい質問があります。
人間とは一体、何でしょうか?
考えとは一体、何でしょうか?
どうして、人間には考えがあって、考えはどこから生まれて、どこへ向かい、そして考えは何に活用するものなのでしょうか?
動物として生きる人間ではなく、動物とは一線を画した人間らしい人間の生き方として、こうした質問に明確に答えた上での行動がとても大事なのだろうと思います。
上記の様な質問に答える人は、あなたの傍に置いておくべき存在です。そして、その様な人たちに囲まれた生き方は、あなた自身がとても幸せで豊かな人生になり、やがてはあなた自身も優れた人間力と人間関係力を身に付ける様になります。
どの様な状態の人が推奨しているのか?
「取りあえずやってみよう」
これからも引き続き注目したい言葉です。
いつも読んで下さって有り難うございます。
宜しければ別の記事も読んでいって下さい。
推奨される「取りあえずやってみよう」
深く考えずに取りあえずやってみる事を推奨する傾向が人間にはあります。私も多くの場面で聞いてきました。
・世界一周をしてきた人
・バックパッカーをした事がある人
・思いつきで起業した人
・精神世界に精通している人
・武道の達人
などなど他にも様々なジャンルがあろうかと思いますが、成功を収めた方や一定の成果を収められた方などがよく仰る世界です。
「人間なんだから、取りあえずやってみよう」
「やってみてから、考えたら良いんだよ」
あなたも一度は聞いた事があるのではないでしょうか?
考えている暇があったら、即行動してみる事を説きます。気付く事や感じる事など得るモノの価値が高く、考えている時間の間にも、実践行動によって多くを得た気がします。
そして、確かにそれはそうです。
人間は、行動しなければ成果を挙げる事は出来ません。何かをやってみない事には、一定の成果を挙げる事が出来ません。行動を抑制する考えであったり、考えてばかりで何もしないというのであれば、考えている意味は無いのでしょうし、とても勿体無い事をしているのでしょう。
ところが、それだけで良いのでしょうか?
それこそが、大事なのでしょうか?
それは本当に人間が生きる姿として理想の生き方なのでしょうか?人間が生きる姿として推奨される生き方なのでしょうか?
あなたと一緒に考えてみたいと思います。
人間として生きるとはどういう事なのか?
人間とは一体、何でしょうか?
考えとは一体、何でしょうか?
どうして、人間には考えがあって、考えはどこから生まれて、どこへ向かい、そして考えは何に活用するものなのでしょうか?
私は、こうした質問を色んな方に投げかけてきましたが、質問に答える人はほとんどいませんでした。「取りあえずやってみよう」と推奨する方々にも聞いてみた事がありますが、納得する答えを聞かせてもらえた事がありません。
ここで不思議な事があります。
人間を一体何であると理解しているからこそ、「人間なんだから、取りあえずやってみよう」と仰るのかがどうにも理解できませんでした。人間が何であるかを教えてくれないまま、「人間なんだから」と仰る事に素直に頷く事が出来ません。
同じ様に、考えを一体何であると理解しているから、「やってみてから、考えたら良いんだよ」と仰るのかが繋がりません。考えがどういうものなのかを言ってくれたのでしたら、やってみてから考える事の意味や価値が理解できますし納得できます。やってみようと思えます。
人間とは何でしょうか?
考えとは何でしょうか?
この問いに対する答えを聞かせてもらえないまま、「取りあえずやってみよう」と推奨するには、余程の自信をお持ちなのでしょうけれども、その方自身が成功し、一定の成果を収める事は出来るかもしれませんが、人間は色んな人がいますから、別の人に当てはまる根拠がありませんし、道理がありません。
ところが、よく推奨される「取りあえずやってみよう」という言葉や為される行為。確かに、その事によって得られる事も多くあるのでしょうが、疑問が残ります。
人間であれば推奨されるものでしょうか?
人間の理想の生き方でしょうか?
人生、それでうまく行くのでしょうか?
私は、「取りあえずやってみよう」と推奨される方には少なくとも、上記の質問に答えて頂きたいと思いますし、その様に仰る根拠を客観的に聞いてみたいと思います。
それが生きる道ならば、その道を理解して実践したいと思うからです。また、多くの人にもそうであってもらいたいと願うからです。素晴らしい人間力の持ち主であり卓越した人間関係力であるからです。
人間と動物の違いにヒントを得る
ある人は、人間は考える存在だと言いました。人間以外の存在を思いますと、動物や植物には考えはありません。人間と動物を比較しながら、一つ考えてみたい事があります。
動物は、考えません。
上記の様な質問を投げかけたり、上記の質問の答えを探そうとはしません。動物は、自分がその日に食べるものを探す事に集中し、その為に体を動かします。
考える事をせずに、食べ物を探します。
人間と比較しますと、動物は様々な機能を体に宿していると見てとる事が出来ます。キリンはキリンらしい機能を体に宿していますし、ゾウはゾウらしい機能を体に宿していますし、トラや、クマや、狼などは、やはり彼ららしい機能を体に宿しています。
鳥やヘビやカエルや魚も同様です。
体に宿した機能を人間のそれと比較しますと、それには及ばない事の方が多く見受けられます。分かりやすい例で言いますと、トラと人間が出くわすと、トラの機能の方が人間の身体機能を上回りますので、人間はトラに食べられてしまいます。
人間が海中にいる時には、魚という存在にも身体的機能が及ばないので、海中にいる時に魚と闘うと負けてしまいます。
人間は、動物の機能と比べまして実に非力な存在であるかに見えます。ところが、長い歴史を振り返りまして人類文明歴史に想いを巡らせてみますと、多くの動物を動物園に入れる事に成功しています。
非力な人間が、です。
生まれた瞬間を見ましても、人間は一人では何も出来ない未熟の状態で生まれていますから、他の動物に簡単に食べられてしまい生存競争には勝てません。自然環境にすら負けてしまいます。
生まれた瞬間でなくとも、大人になったからといって機能性豊かな動物たちや、嵐に雷に津波に火災に砂漠など厳しい自然環境を前にしても負けてしまいます。
ところが、人類の歴史文明と共に時代を下りますと、その様な自然環境に勝利し、動物に勝利し、非力で無力であった人間が、いつの間にか地球上を謳歌するようになり、しかも動物の全ての能力を抽出して、道具という形にして活用するにまで至っています。動物を動物園に入れながら、動物の機能を道具の形へと変えて、道具を使う事で動物さえも出来なかった速いスピードで移動する事や大気圏の外へと飛び出す事に成功しています。
人間は、動物と違って考えます。
考える事なしに食べ物だけを探すという行動だけをしていたのでは、動物の機能には到底太刀打ちできませんし、仮に太刀打ち出来たとしても子供や孫が太刀打ちできるとは限りませんし、仮に子供や孫が太刀打ちできたとして、農業へと発展させる子孫にはなっていません。
考えなしに、食べ物を探す。
考えなしに、行動する。
それは、動物の次元です。
動物と同じ次元で、行動する。
そこからは、文明や歴史として発展する人間の道は開かれない事を、動物や自然との闘いから観てとる事が出来るのではないでしょうか?
動物と同じ次元では、人間の非力さ生きていれば淘汰されますし、自然環境の厳しさからも淘汰されてしまいます。
ところが実際は違います。
人間は、淘汰されるどころか地球上で文明を謳歌する生活を送っています。それは、動物とは同じ次元での行動をしてはいないからではないでしょうか?動物との鮮明な違いについて、やはり理解しておいた方が良さそうな気がします。考えについて、鮮明に理解しておいて方が良さそうな気がします。
投げ掛けたい質問、受け取りたい質問、聞いてみたい答え、差し上げたい答え
推奨行為「取りあえずやってみよう」について触れてきました。人間の人間らしい状態から発信する時に素晴らしい一言になるのだろうと思います。人間力、人間関係力に溢れ、実践行動力に光るものがあり、あらゆる現実力を手にして見せる事でしょう。まさに、人間の憧れのモデルと言えます。
その姿を見たいと思いませんか?
私は見たいと思っています。
だからこそ聞いてみたい質問があります。
人間とは一体、何でしょうか?
考えとは一体、何でしょうか?
どうして、人間には考えがあって、考えはどこから生まれて、どこへ向かい、そして考えは何に活用するものなのでしょうか?
動物として生きる人間ではなく、動物とは一線を画した人間らしい人間の生き方として、こうした質問に明確に答えた上での行動がとても大事なのだろうと思います。
上記の様な質問に答える人は、あなたの傍に置いておくべき存在です。そして、その様な人たちに囲まれた生き方は、あなた自身がとても幸せで豊かな人生になり、やがてはあなた自身も優れた人間力と人間関係力を身に付ける様になります。
どの様な状態の人が推奨しているのか?
「取りあえずやってみよう」
これからも引き続き注目したい言葉です。
いつも読んで下さって有り難うございます。
宜しければ別の記事も読んでいって下さい。
場所:
日本、福岡県福岡市博多区
2018年6月22日金曜日
人生。どの様に生きれば良いのでしょうか?
このところは独特な認識経験を得た前後で劇的な変化を遂げた物語を書き綴っています。本記事もその流れを汲みますが特に次の様な方に相性が良いかと思います。
・人生に誠実な人
・大抵の事は自分の問題に置き換える人
・天命を知り自分の使命を果たそうとする人
島崎は小さい頃、母親の態度の急変を境目にして、
・人生に誠実な人
・大抵の事は自分の問題に置き換える人
・天命を知り自分の使命を果たそうとする人
島崎は小さい頃、母親の態度の急変を境目にして、
場所:
日本、福岡県福岡市博多区
2018年6月21日木曜日
小さい頃のショックな出来事を覚えていますか?
小さい頃の事を覚えていますか?
それもショックな出来事を、です。
女性と比べて比較的、男性の方が幼少期の頃の事は覚えていない人が多いですね。本日は、島崎の小さい頃の話を少し書き綴ります。
私は小さい頃、とても母親に可愛がられたそうです。母親が時々、私の幼少期の頃の事を教えてくれますが、その時いつも言う言葉は、可愛かったの一言です。
親戚の人に話を聞いても、私の母親は私の事をとても可愛がり、いつも抱っこしていて、私自身も母親から離れない様にしていたそうです。
何をするにしても母親と一緒にいました。いつも母親と一緒にいましたし、母親も私の事を大変に可愛がります。
ところが、ある時から母親の態度が変わります。ある時のこと。「あっちに行ってなさい」と言うので、あっちに行きました。あっちに行ったものですから、「あっちに行ってきたよ、お母さん」と言わんばかりに母親の元に勇んで戻ります。
すると母親に叱られました。
「あっちに行ってなさい、って言ったでしょ!」と怖い形相で怒ります。小さい頃の私には、何が起きたのか分かりませんでした。
母親の元に戻ると、褒めてもらえるものだと思っていたのに、褒められ可愛がられるどころか、怖い顔をして怒ってくる母親を前にして、一体何が起きたのか全く分かりませんでした。
そして、もう一度、あっちに行くのですが、私にはあっちに行く理由が全く分かりません。そして、母親が一変した理由も分かりません。
ちょうどその頃から、母親の私に接する態度がまるでガラッと変わりました。とてもショックな出来事でした。小さい頃の私にとって、感情のコントロールは出来ようもありません。
その後の私の人生はどの様になっていきそうなのか、観る人が見たら予想がつきそうな展開に転じていきます。
それもショックな出来事を、です。
女性と比べて比較的、男性の方が幼少期の頃の事は覚えていない人が多いですね。本日は、島崎の小さい頃の話を少し書き綴ります。
私は小さい頃、とても母親に可愛がられたそうです。母親が時々、私の幼少期の頃の事を教えてくれますが、その時いつも言う言葉は、可愛かったの一言です。
親戚の人に話を聞いても、私の母親は私の事をとても可愛がり、いつも抱っこしていて、私自身も母親から離れない様にしていたそうです。
何をするにしても母親と一緒にいました。いつも母親と一緒にいましたし、母親も私の事を大変に可愛がります。
ところが、ある時から母親の態度が変わります。ある時のこと。「あっちに行ってなさい」と言うので、あっちに行きました。あっちに行ったものですから、「あっちに行ってきたよ、お母さん」と言わんばかりに母親の元に勇んで戻ります。
すると母親に叱られました。
「あっちに行ってなさい、って言ったでしょ!」と怖い形相で怒ります。小さい頃の私には、何が起きたのか分かりませんでした。
母親の元に戻ると、褒めてもらえるものだと思っていたのに、褒められ可愛がられるどころか、怖い顔をして怒ってくる母親を前にして、一体何が起きたのか全く分かりませんでした。
そして、もう一度、あっちに行くのですが、私にはあっちに行く理由が全く分かりません。そして、母親が一変した理由も分かりません。
ちょうどその頃から、母親の私に接する態度がまるでガラッと変わりました。とてもショックな出来事でした。小さい頃の私にとって、感情のコントロールは出来ようもありません。
その後の私の人生はどの様になっていきそうなのか、観る人が見たら予想がつきそうな展開に転じていきます。
場所:
日本、福岡県福岡市博多区
2018年6月20日水曜日
変わりたいのに変われない
生きていると色々な事があります。
小さい頃に正しい事として学んだ事が大きくなってみると必ずしも正しい事では無かった事を学ぶ様になったり、3ヶ月前までは有効な手段だった事が、その3ヶ月の間には大きく激変して効果が無いどころか最悪の手段へと成り代わったりします。
環境の変化は目まぐるしいものがありますが、その変化に対応する柔軟な自分であろうとしましても中々変化仕切らない自分を見たりします。なかなか変わらない自分、いつも同じ事を繰り返してしまう自分を何度か確認する事もあるでしょう。
変わりたいと思ってはいても、
中々変わらない自分。
一体どうして変わる事が出来ないのでしょうか?
小さい頃に正しい事として学んだ事が大きくなってみると必ずしも正しい事では無かった事を学ぶ様になったり、3ヶ月前までは有効な手段だった事が、その3ヶ月の間には大きく激変して効果が無いどころか最悪の手段へと成り代わったりします。
環境の変化は目まぐるしいものがありますが、その変化に対応する柔軟な自分であろうとしましても中々変化仕切らない自分を見たりします。なかなか変わらない自分、いつも同じ事を繰り返してしまう自分を何度か確認する事もあるでしょう。
変わりたいと思ってはいても、
中々変わらない自分。
一体どうして変わる事が出来ないのでしょうか?
2018年6月19日火曜日
嘘をつく事。騙す事。嘘をつかれる事。騙される事
本記事は、人生に真面目で、生きる事に誠実であろうとする人を意識して特に書き綴る記事です。
その様なあなたは、タイトルを見ました。
そして、本記事を読み進めようとしています。
嘘や騙す事についてどの様な体験をあなたはされてこられたのかを私は知りませんが、しかし、タイトルに何かしらを感じられて読もうとされている事かと思います。
ここ数日の記事は、私自身の事を書き綴る記事でして、全く話が逸れる訳ではないのですが、少しの寄り道をしようとして書こうと思いました。
私には、嘘をつく事や人を騙す事について大変悪いイメージがありました。人に嘘をついたり、人を騙す事は良くない事ですし、悪い事だと思って生きていました。
その様な私が、人に対して嘘を付いたり人を騙したりする事が無かったかと言うとそうではありません。嘘をついたり、人を騙す時には、自分自身に悪いイメージが重なりますから、罪悪感が残ったり罪意識がまとわりつきます。
嘘とは一体何でしょうか?
人を騙すとはどういう事でしょうか?
嘘や人を騙す事について、悪いイメージがありつつも、しかし嘘を付いたり人を騙してしまうのはどうしてなのでしょうか?
生きていると沢山の疑問が生まれてきた私でしたが、こうした質問にも答えが出る事がありませんでした。
嘘を付く事は良くない。
人を騙すのは悪い事だ。
その様に生きてきた人生ですが、ある時を境に、そうしたモノの観方が変わりました。嘘を付く事や人を騙す事についてのイメージが全く変わります。
それは、嘘を付く事が良い、人を騙すのは良いという事ではありません。悪いイメージが良いイメージへと変わる事は、実は本質的には何も変化していませんよね。
全く変わったイメージは、良い・悪いのイメージとは違ったものへと変化しました。
あなたには、どの様なイメージがありますか?
本日のテーマ「嘘をつく事。騙す事。嘘をつかれる事。騙される事」について、人生に真面目で生きる事に誠実であろうとするあなたと心行くまで話してみたいと思っています。
気軽に連絡を下さい。
本日もありがとうございました。
良かったら別の記事もお読みください。
その様なあなたは、タイトルを見ました。
そして、本記事を読み進めようとしています。
嘘や騙す事についてどの様な体験をあなたはされてこられたのかを私は知りませんが、しかし、タイトルに何かしらを感じられて読もうとされている事かと思います。
ここ数日の記事は、私自身の事を書き綴る記事でして、全く話が逸れる訳ではないのですが、少しの寄り道をしようとして書こうと思いました。
私には、嘘をつく事や人を騙す事について大変悪いイメージがありました。人に嘘をついたり、人を騙す事は良くない事ですし、悪い事だと思って生きていました。
その様な私が、人に対して嘘を付いたり人を騙したりする事が無かったかと言うとそうではありません。嘘をついたり、人を騙す時には、自分自身に悪いイメージが重なりますから、罪悪感が残ったり罪意識がまとわりつきます。
嘘とは一体何でしょうか?
人を騙すとはどういう事でしょうか?
嘘や人を騙す事について、悪いイメージがありつつも、しかし嘘を付いたり人を騙してしまうのはどうしてなのでしょうか?
生きていると沢山の疑問が生まれてきた私でしたが、こうした質問にも答えが出る事がありませんでした。
嘘を付く事は良くない。
人を騙すのは悪い事だ。
その様に生きてきた人生ですが、ある時を境に、そうしたモノの観方が変わりました。嘘を付く事や人を騙す事についてのイメージが全く変わります。
それは、嘘を付く事が良い、人を騙すのは良いという事ではありません。悪いイメージが良いイメージへと変わる事は、実は本質的には何も変化していませんよね。
全く変わったイメージは、良い・悪いのイメージとは違ったものへと変化しました。
あなたには、どの様なイメージがありますか?
本日のテーマ「嘘をつく事。騙す事。嘘をつかれる事。騙される事」について、人生に真面目で生きる事に誠実であろうとするあなたと心行くまで話してみたいと思っています。
気軽に連絡を下さい。
本日もありがとうございました。
良かったら別の記事もお読みください。
場所:
日本、福岡県福岡市博多区
2018年6月18日月曜日
生きる答えを知りたかった人生
私は、自分の人生の前半戦を表現する時に、生きる答えを知りたかった人生であると言う事があります。生きる事が格好悪くて、生きる事が恥ずかしくて、生きる事が苦しくて、生きる事が辛くて、色々ある人生でしたが、一言で言えば、生きる答えを知りたかった人生ですし、生きる答えを知らないから色々な事があったのだと振り返ります。
ここ暫くは、独特な認識経験について触れています。
その独特な認識経験を得る事を通して、人生の前半戦は終了しました。今の私は、人生の後半戦に突入しています。認識経験を得る前までは、後半戦が有る事に夢を抱き理想を掲げていながらも、実は全くイメージも出来ていませんし想像が出来ていなかった世界です。
無意識で諦めていました。
無意識では前半戦が人生というゲームの全てであると思い込んでいました。生きる答えなど世の中には無いものだと言い聞かせる時がありました。その上で、生きる答えを探そうとする矛盾が常に自分にはありました。
ただ、心のどこかでは諦めや期待とは次元の違う世界から可能性を見ていました。
だからこそ出会ったのかも知れません。
だからこそ独特な認識経験を得ました。
本ブログを読んでいるあなたはどうでしょうか?実は前半戦のゲームを、ゲーム全体であると思い込んでいるだなんて事がありますでしょうか?
本日は脈絡を無視します。
あなたは未だゲームの前半戦です。
想像だに出来ない後半戦が控えています。見た事も、聞いた事も、考えた事もなく、まだまだ多くの人が到達出来ていない人生の後半戦がこの先に未だ、控えています。
ゲームの前半戦を終わらせ、
ゲームの後半戦に突入する。
人生をゲームで見立てます時、ゲームの前半戦と後半戦との境目を分ける変化のキーワードは何だと思いますか?
引き続き書き綴ろうと思います。
本日も読んで下さって有り難うございます。
ここ暫くは、独特な認識経験について触れています。
その独特な認識経験を得る事を通して、人生の前半戦は終了しました。今の私は、人生の後半戦に突入しています。認識経験を得る前までは、後半戦が有る事に夢を抱き理想を掲げていながらも、実は全くイメージも出来ていませんし想像が出来ていなかった世界です。
無意識で諦めていました。
無意識では前半戦が人生というゲームの全てであると思い込んでいました。生きる答えなど世の中には無いものだと言い聞かせる時がありました。その上で、生きる答えを探そうとする矛盾が常に自分にはありました。
ただ、心のどこかでは諦めや期待とは次元の違う世界から可能性を見ていました。
だからこそ出会ったのかも知れません。
だからこそ独特な認識経験を得ました。
本ブログを読んでいるあなたはどうでしょうか?実は前半戦のゲームを、ゲーム全体であると思い込んでいるだなんて事がありますでしょうか?
本日は脈絡を無視します。
あなたは未だゲームの前半戦です。
想像だに出来ない後半戦が控えています。見た事も、聞いた事も、考えた事もなく、まだまだ多くの人が到達出来ていない人生の後半戦がこの先に未だ、控えています。
ゲームの前半戦を終わらせ、
ゲームの後半戦に突入する。
人生をゲームで見立てます時、ゲームの前半戦と後半戦との境目を分ける変化のキーワードは何だと思いますか?
引き続き書き綴ろうと思います。
本日も読んで下さって有り難うございます。
場所:
日本、福岡県福岡市博多区
2018年6月15日金曜日
独特な認識経験を得る前後
私には生き方が変わった認識経験があります。
その認識経験を得た前後ではどの様に生き方が変わったのかについて少し触れようと思います。
その認識経験を得る前まで、私は生きる答えが知りたかったです。どの様に生きれば良いのかという質問の答えを知りたかったです。
生きていると色々あります。
その色々ある中で、一つひとつの判断や意思決定は、本当にそれで良かったのだろうかと後悔する事が沢山ありました。過去の事に後悔して未来の事に不安する日々を繰り返していました。
生きる答えを知らないから、過去には後悔するし未来には不安するのだと何時しか思う様になり、生きる答えを知ろうと探すものの中々、見つかるものではありませんでした。
生きる答えなど無いのだろうかと思う事も何度かあります。ただ、生きる答えが無いのだとしたら、本当に何でも自由にして良いのかと言いますと、世の中や社会はそれは許してくれません。やはり人を殺してはいけないですし、ダメな事はダメだという世界があるものです。
生きる答えを知らない中では、何をやっても自分に自信を持つ事は出来ませんでしたし、生きる事の意味が分からないだけでなく生きている事や選択している事の価値までが分からなくなってきます。
やがて、どの様に生きれば良いのかという事以上に、自分自身の惨めさや悲惨さの方ばかりが目につく様になり、「自分は何がしたいんだ?」「何で自分ばかりがこんな目に遭っているんだ?」「いったい自分とは何なんだ?」と閉塞していきます。
その様な時、ある出会いをキッカケにして独特な認識経験を得る様になりました。
認識経験を得てからはまるで世界が変わりました。世界が変わりますし、自分が変わります。世によく言う「世界が変わった」「自分が変わった」とは全く違う現象です。文字通り、それとは次元が違っていました。
世界が変わる事と自分が変わる事の確信は独特な認識経験の後に得たものです。
ずっと生きる答えが知らないまま、毎日を生きて、毎日死なない様に努力して、より良い人生にしたいと考えたり、様々な喜怒哀楽の感情が沸き起こったり消えて行ったりしましたが、何が起きても生きる答えが分からないままでしたし、その後も生きる答えは分かりませんでした。
生きる答えを得る。
その事は生き方に大きな影響を与えます。
私の生き方は劇的に変わります。
人生は、ゲームの様に楽しむものとなりました。
今日も見て頂いて有り難うございました。良かったら別の記事も読まれていって下さい。
その認識経験を得た前後ではどの様に生き方が変わったのかについて少し触れようと思います。
その認識経験を得る前まで、私は生きる答えが知りたかったです。どの様に生きれば良いのかという質問の答えを知りたかったです。
生きていると色々あります。
その色々ある中で、一つひとつの判断や意思決定は、本当にそれで良かったのだろうかと後悔する事が沢山ありました。過去の事に後悔して未来の事に不安する日々を繰り返していました。
生きる答えを知らないから、過去には後悔するし未来には不安するのだと何時しか思う様になり、生きる答えを知ろうと探すものの中々、見つかるものではありませんでした。
生きる答えなど無いのだろうかと思う事も何度かあります。ただ、生きる答えが無いのだとしたら、本当に何でも自由にして良いのかと言いますと、世の中や社会はそれは許してくれません。やはり人を殺してはいけないですし、ダメな事はダメだという世界があるものです。
生きる答えを知らない中では、何をやっても自分に自信を持つ事は出来ませんでしたし、生きる事の意味が分からないだけでなく生きている事や選択している事の価値までが分からなくなってきます。
やがて、どの様に生きれば良いのかという事以上に、自分自身の惨めさや悲惨さの方ばかりが目につく様になり、「自分は何がしたいんだ?」「何で自分ばかりがこんな目に遭っているんだ?」「いったい自分とは何なんだ?」と閉塞していきます。
その様な時、ある出会いをキッカケにして独特な認識経験を得る様になりました。
認識経験を得てからはまるで世界が変わりました。世界が変わりますし、自分が変わります。世によく言う「世界が変わった」「自分が変わった」とは全く違う現象です。文字通り、それとは次元が違っていました。
世界が変わる事と自分が変わる事の確信は独特な認識経験の後に得たものです。
ずっと生きる答えが知らないまま、毎日を生きて、毎日死なない様に努力して、より良い人生にしたいと考えたり、様々な喜怒哀楽の感情が沸き起こったり消えて行ったりしましたが、何が起きても生きる答えが分からないままでしたし、その後も生きる答えは分かりませんでした。
生きる答えを得る。
その事は生き方に大きな影響を与えます。
私の生き方は劇的に変わります。
人生は、ゲームの様に楽しむものとなりました。
今日も見て頂いて有り難うございました。良かったら別の記事も読まれていって下さい。
場所:
日本、福岡県福岡市博多区
2018年6月14日木曜日
生き方が変わった認識経験
本日から暫く、今まではあまり記事にする事の無かった私自身の事を書いてみたいと思います。
私には、生き方が劇的に変わった認識経験があります。その認識経験は非常に独特なものです。普通に過ごしておりますと、その延長では得られる経験では到底なくて、かと言いましても、世界一周するですとか、大気圏を出て月に着陸するですとか、臨死体験したですとか、そうした独特な体験をした方でありましても中々、得られることの出来ない経験の類です。
私には、その認識経験があります。
それ故に、その認識経験をする前後では生き方が大きく変わりました。生き方が変わるという表現でありましても、まだ表現し切っていません。
その様な生き方の変化について、本日からしばらく書き綴っていきたいと思います。
他の記事も是非、お読みになって下さい。
私には、生き方が劇的に変わった認識経験があります。その認識経験は非常に独特なものです。普通に過ごしておりますと、その延長では得られる経験では到底なくて、かと言いましても、世界一周するですとか、大気圏を出て月に着陸するですとか、臨死体験したですとか、そうした独特な体験をした方でありましても中々、得られることの出来ない経験の類です。
私には、その認識経験があります。
それ故に、その認識経験をする前後では生き方が大きく変わりました。生き方が変わるという表現でありましても、まだ表現し切っていません。
その様な生き方の変化について、本日からしばらく書き綴っていきたいと思います。
他の記事も是非、お読みになって下さい。
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日本、福岡県福岡市博多区
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